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Japanese court noble from the mid to late Heian period
Fujiwara no Tsunesue
The basics
Quick Facts
Intro
Japanese court noble from the mid to late Heian period
Places
was
Gender
Male
Birth
Age
76 years
Family
Father:
Spouse:
Children:
Relatives:
The details (from wikipedia)
Biography
藤原 経季(ふじわら の つねすえ)は、平安時代中期から後期にかけての公卿。藤原北家小野宮流、権中納言・藤原経通の次男。官位は正二位・中納言。
経歴
後一条朝中期の万寿4年(1027年)従五位下・美作権守に叙任される。
長元2年(1029年)右兵衛佐次いで左近衛少将に任ぜられると、長元3年(1030年)従五位上、長元6年(1033年)正五位下、長元8年(1035年)従四位下、長暦2年(1038年)従四位上、長久2年(1041年) 正四位下、長久3年(1042年)左近衛権中将と後一条朝後半から後朱雀朝にかけて、近衛次将を務めながら順調に昇進した。
寛徳2年(1045年)後冷泉天皇が即位すると、経季は蔵人頭(頭中将)に補せられる。頭を2年足らず務めたのち、永承2年(1047年)従三位・参議に叙任されて公卿に列したが、この時に近衛中将・修理権大夫は解かれている。
議政官としてしばらくは、美作権守・備前権守・備中権守と地方官のみを兼帯し、この間の康平5年(1062年)正三位に昇叙されている。治暦3年(1067年)左兵衛督を兼ねると、後三条天皇が即位した治暦4年(1068年)権中納言に昇進するが、衛門督の兼帯は解かれている。
のち、治暦5年(1069年)従二位、延久3年(1071年)正二位と昇叙を重ね、白河朝の承暦4年(1080年)中納言に至る。永保2年(1082年)正月に子息の兼平を出雲守に任官させる代わりに辞職。同年6月1日に出家した。応徳3年(1086年)8月薨去。享年77。
人物
従兄弟の藤原資房から散々に批判されるなど政治的能力に乏しく、権中納言任官も年労であった。
官歴
『公卿補任』による。
- 万寿4年(1027年) 正月5日:従五位下(春宮御給)。3月16日:美作権守
- 長元2年(1029年) 正月24日:右兵衛佐。3月11日:左近衛少将
- 長元3年(1030年) 正月5日:従五位上(少将労)。正月26日:兼伊予介
- 長元4年(1031年) 3月28日:五位蔵人
- 長元6年(1033年) 正月5日:正五位下
- 長元8年(1035年) 正月5日:従四位下(少将)。正月9日:還昇
- 長元9年(1036年) 正月29日:兼播磨権介
- 長暦2年(1038年) 正月5日:従四位上(上東門院御給)
- 長久2年(1041年) 正月23日:兼周防権守。3月27日:兼近江権介。8月27日:正四位下(父経通卿譲、大野原松尾行幸行事賞)
- 長久3年(1042年) 正月29日:左近衛権中将
- 寛徳2年(1045年) 10月26日:蔵人頭
- 寛徳3年(1046年) 正月23日:兼修理権大夫
- 永承2年(1047年) 8月1日:参議。11月13日:従三位
- 永承3年(1048年) 正月23日:兼美作権守
- 永承6年(1051年) 8月16日:服解(父卿)。11月5日:復任
- 天喜元年(1053年) 正月27日:兼備中権守。11月28日:兼備前権守
- 天喜6年(1058年) 正月30日:兼備中権守
- 康平3年(1060年) 12月16日:兼右兵衛督
- 康平5年(1062年) 7月13日:正三位(石清水賀茂行幸行事賞)
- 康平6年(1063年) 2月16日:兼備後権守
- 治暦3年(1067年) 2月6日:兼左兵衛督
- 治暦4年(1068年) 12月29日:権中納言
- 治暦5年(1069年) 12月17日:従二位
- 延久3年(1071年) 10月29日:正二位(行幸日吉社行事賞)
- 承保3年(1076年) 12月5日:兼治部卿
- 承暦4年(1080年) 8月14日:中納言、治部卿如元
- 永保2年(1082年) 正月21日:辞職(以男兼平申任出雲守)。6月1日:出家
- 応徳3年(1086年) 8月:薨去
系譜
- 父:藤原経通
- 母:源高雅の娘
- 妻:藤原能通の娘
- 男子:藤原通家(?-1077)
- 妻:藤原邦恒の娘(姉)
- 男子:藤原季仲(1046-1119)
- 妻:藤原邦恒の娘(妹)
- 男子:藤原季実
- 妻:藤原定頼の娘
- 男子:藤原兼平(?-?)
- 妻:源行任の娘(郁芳門院但馬)
- 男子:藤原雅経
- 生母不明の子女
- 男子:増覚
- 男子:真覚
脚注
- ^ 『公卿補任』の註によれば2月17日ともいう。『蔵人補任』は2月17日とする。
出典
- 『公卿補任 第一篇』吉川弘文館、1982年
- 『尊卑分脈 第二篇』吉川弘文館、1987年
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