Yuito Munetsugu
Quick Facts
Biography
宗接 唯人(むねつぐ ゆいと、1994年7月6日 - )は、兵庫県宍粟郡波賀町(現・宍粟市)出身の元プロ野球選手、社会人野球選手(捕手)。右投右打。
2022年から、JFE東日本硬式野球部でプレーしている。
経歴
プロ入り前
兵庫県出身で少年時代は阪神ファンであり、矢野輝弘が憧れの選手だった。
神戸国際大附高2年秋に三塁手から捕手に転向。1学年下に、小深田大翔、蔵本治孝がいる。
亜細亜大進学後は3年からレギュラーをつかみ、第46回明治神宮野球大会で優勝。4年春にリーグ3位の打率.372を記録して優勝に貢献しベストナインを獲得。一部リーグ通算43試合に出場、113打数34安打、1本塁打、21打点を記録。3年上に九里亜蓮、嶺井博希、2年上に山﨑康晃、薮田和樹、大下佑馬、1年上に板山祐太郎、藤岡裕大、同学年に木浪聖也、1年下に髙橋遥人、北村拓己、2年下に中村稔弥、3年下に河村説人、平内龍太、内間拓馬、矢野雅哉がいた。
体重90kgながら50メートル走6秒1という俊足の持ち主で、2016年の第65回全日本大学野球選手権大会2回戦では1点を追う2回二死三塁の場面で本盗を決めている。
2016年のドラフト会議で千葉ロッテマリーンズから7位指名を受け、契約金2500万円・年俸800万円(金額は推定)で入団。入団発表会見では「打てる捕手になって信頼を得たい。伊東監督のような捕手になりたいです」と話した。背番号は45。
ロッテ時代
2017年、一軍公式戦の出場機会は無かったが、7月13日に草薙球場で行われたフレッシュオールスターゲーム2017戦において、イースタン選抜として出場する。二軍公式戦において66試合に出場し、1本塁打、14打点、打率.200の成績を残す。11月25日から台湾で開催されるアジアウインターベースボールリーグにおいて、NPBイースタン選抜に選出される。
2018年、6月15日に一軍登録される。同日の読売ジャイアンツ戦(ZOZOマリンスタジアム)にて8回に代打で出場し、一軍初出場となった。三振で打席を終えた。この年の一軍出場はこの1試合のみであった。
2019年、この年は一軍出場は無く、二軍では91試合に出場した。
2020年、この年も一軍出場は無かった。右肩痛もあり、二軍では48試合の出場となった。この年は打撃を活かすため、捕手以外に左翼手としても出場している。
2021年、一軍登録されるも3試合のみの出場に終わり、11月2日に球団から戦力外通告を受けた。
社会人時代
2022年シーズンから、社会人野球のJFE東日本でプレーする。
人物
愛称は「ムネ」。
「宗接」は全国に約20世帯、約100人しかいないとされる珍しい名字である。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 | 球団 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 塁打 | 打点 | 盗塁 | 盗塁死 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 敬遠 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 | 長打率 | OPS |
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2018 | ロッテ | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
2021 | 3 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
通算:2年 | 4 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
- 2021年度シーズン終了時
年度別守備成績
年 度 | 球 団 | 捕手 | 一塁 | |||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
試 合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 捕逸 | 企 図 数 | 許 盗 塁 | 盗塁刺 | 阻止率 | 試 合 | 刺 殺 | 補 殺 | 失 策 | 併 殺 | 守 備 率 | ||
2018 | ロッテ | - | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | ||||||||||
2021 | 3 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 0 | 1 | 1 | 0 | .000 | - | ||||||
通算 | 3 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 0 | 1 | 1 | 0 | .000 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1.000 |
- 2021年度シーズン終了時
記録
- 初記録
- 初出場・初打席:2018年6月15日、対読売ジャイアンツ1回戦(ZOZOマリンスタジアム)、8回裏にマット・ドミンゲスの代打として出場、菅野智之から空振り三振
背番号
- 45(2017年 - 2021年)
代表歴
- 2017アジアウインターベースボールリーグ:NPBイースタン選抜
登場曲
- 「Let It Rock」Kevin Rudolf(2017年 - 2021年)
脚注
注釈
- ^ ロッテは1990年に小池秀郎が入団拒否をしてから亜大の選手の指名を回避してきた(小池はその後のドラフトで近鉄バファローズに入団した)が、それ以降の亜大卒のドラフト入団選手は26年ぶり、小池以前の選手としては1985年の古川慎一以来31年ぶり。
出典
- ^ “ロッテ ドラ7宗接と契約「体の強さ、肩が自慢です」183センチ、90キロの大型捕手”. デイリースポーツ (2016年12月1日). 2021年11月2日閲覧。
- ^ “亜大、意識回復の冨田さんに白星届けた”. デイリースポーツ (2016年6月8日). 2021年11月3日閲覧。
- ^ “ロッテ7位宗接、同い年の田村に「負けるわけには」”. 日刊スポーツ (2016年12月1日). 2017年5月13日閲覧。
- ^ “ロッテ7位の亜大・宗接「伊東監督のような捕手に」”. 日刊スポーツ (2016年12月13日). 2021年11月2日閲覧。
- ^ “ロッテ成田「全力で抑えに行く」フレッシュ球宴出場”. 日刊スポーツ (2017年6月30日). 2017年11月19日閲覧。
- ^ “2017年度 千葉ロッテマリーンズ 個人打撃成績(イースタン・リーグ)”. 日本野球機構. 2017年11月19日閲覧。
- ^ “2017アジアウインターベースボールリーグ(AWB)NPBメンバー一覧”. 日本野球機構 (2017年11月17日). 2017年11月19日閲覧。
- ^ “日本のエースと対戦して得た手応え “打てる捕手”を目指すロッテ2年目の23歳”. Full-Count (2018年7月5日). 2021年8月17日閲覧。
- ^ “ロッテ・宗接が50万円減で更改、1軍出場なし「アピールしきれなかった」”. サンケイスポーツ. (2019年11月19日). https://www.sanspo.com/article/20191119-ELDWO25SDZKVBF7EBHC4NHST6Q/ 2021年8月17日閲覧。
- ^ “ロッテ・宗接、50万円減の700万円でサイン「スタートからアピール」気持ち新たに来季へ”. スポニチアネックス. (2020年12月3日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2020/12/03/kiji/20201203s00001173279000c.html 2021年8月17日閲覧。
- ^ “ロッテ宗接50万円減、勝負の5年目へ「2月から」”. 日刊スポーツ. (2020年12月3日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/202012030000532.html 2021年8月17日閲覧。
- ^ “5選手の来季契約について”. 千葉ロッテマリーンズ (2021年11月2日). 2021年11月2日閲覧。
- ^ “ロッテ高浜卓也、宗接唯人、石崎剛ら5選手に戦力外通告 高浜は現役引退”. 日刊スポーツ (2021年11月2日). 2021年11月3日閲覧。
- ^ “ロッテ戦力外の宗接唯人、来季からJFE東日本でプレー「本当に感謝」”. 日刊スポーツ. (2021年12月21日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/202112210000207.html 2021年12月22日閲覧。
- ^ “45 宗接 唯人 選手名鑑2021|千葉ロッテマリーンズ”. 千葉ロッテマリーンズ オフィシャルサイト. 2021年8月24日閲覧。
- ^ “ロッテドラ7宗接 三刀流で天下取りだ「武将みたいな名前だと…」”. スポーツニッポン (2016年10月23日). 2021年11月3日閲覧。
関連項目
- 兵庫県出身の人物一覧
- 亜細亜大学の人物一覧
- 千葉ロッテマリーンズの選手一覧
- 大谷・藤浪世代