peoplepill id: yosoko-mamiya
Japanese poet
Yosoko Mamiya
The basics
Quick Facts
The details (from wikipedia)
Biography
間宮 八十子(まみや やそこ)は、江戸時代後期から明治時代の歌人。国学者間宮永好の妻。水戸藩主徳川斉昭に出仕し、諸大名の妻女に和歌を講じた。
生涯
文政6年(1823年)6月20日、江戸小石川水戸藩邸に久米博高の次女として生まれた。天保10年(1839年)久米野の名で徳川斉昭に出仕し、「我が家の紫式部」として寵愛を受け、後の南部利剛室明子を教育した。
嘉永4年(1851年)母の病死により退職し、嘉永5年(1851年)藩命により間宮永好と結婚し、国学を学んで勅撰和歌集、『万葉集』、『源氏物語』に通じ、諸大名家の妻女や一般人に講じた。特に松平春嶽、明子の弟池田慶徳と親しく、英照皇太后宮、昭憲皇后宮にも召されて歌を詠み、宮中出仕の声もかかったが、老齢のため断った。
明治23年(1890年)秋から病気がちとなり、明治24年(1891年)1月中風を発症し、2月17日朝7時に死去した。翌日谷中玉林寺夫永好墓の傍らに葬られた。法号は永楽院奇音妙歌大姉。
著書
和歌
- 「あふひ草かけてそおもふむつましくむかへるたつの千代の行末」 - 松姫君の御婚礼に
- 「いく薬いつのいて湯の旅おろも千代のよはひをつとにせよ君」 - 南部四位とのゝ姫君を引ぐして伊豆の湯に立出給ふに
- 「夢にたにのほるへしとはおもひきや身はしもなから雲のうへまて」 - はしめて皇后宮の御前にめされける時
親族
- 父:久米彦助博高(隆) - 水戸藩彰考館員。
- 母:日暮みを子
- 夫:間宮永好
- 妹:静子 - 久米幹文妻。
- 養女:佐登 - 先妻増子娘。鈴木好輔に嫁いだ。
脚注
- ^ 久米 1891.
- ^ 山田 2009, p. 21.
- ^ 山田 2009, p. 22.
- ^ 山田 2009, p. 9.
- ^ 中澤 2008, p. 19.
- ^ 山田 2009, p. 23.
- ^ 山田 2009, p. 35.
- ^ 山田 2009, p. 10.
- ^ “和歌玉石集”. 日本古典籍総合目録データベース. 2017年9月19日閲覧。
- ^ “古ろもて日記”. 日本古典籍総合目録データベース. 2017年9月19日閲覧。
- ^ 山田 2009, p. 24.
- ^ 山田 2009, p. 25.
- ^ 久米 1891, pp. 扉,67.
- ^ 山田 2009, p. 15.
- ^ 中澤 2008, pp. 2-3.
The contents of this page are sourced from Wikipedia article.
The contents are available under the CC BY-SA 4.0 license.
Lists
Yosoko Mamiya is in following lists
By work and/or country
comments so far.
Comments
Credits
References and sources
Yosoko Mamiya