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13 Apr 1837 - certain 4 Mar 1890
Yoshida Nakayoshi
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Biography
吉田 良義(よしだ なかよし/よしのり)は、幕末の公卿。吉田良熈の子。明治期の神職・華族。子爵。
経歴
天保8年(1837年)、京都で吉田良熈の子として誕生。嘉永2年12月29日(1850年2月10日)、叙爵される。嘉永3年9月28日(1850年11月2日)、元服し昇殿を許される。
安政3年2月5日(1856年3月11日)、侍従。安政5年(1858年)、父と共に廷臣八十八卿列参事件に加わった。慶応元年12月23日(1866年2月8日)、従三位に叙され、公卿となった。慶應2年1月2日(1866年2月16日)の白馬節会では外弁を務めた。慶應3年8月26日(1867年9月23日)、神祇権大副に任じられた。慶應4年4月2日(1868年4月24日)父の薨去により服解し、同年閏4月23日に除服し、出仕・復任する。明治2年、百官の廃止に伴い、律令制下の官職である侍従・神祇権大副を解任された。
明治維新を迎え、家学吉田神道の隆盛を意図して平田銕胤、矢野玄道から国学を学んだ。慶応4年2月20日(1868年3月13日)、参与、神祇事務局補となる。以後、皇学所御用掛、宮中勤番、皇太后宮職勤番などを務めた。
明治12年(1879年)、吉田神社宮司となる。明治17年(1884年)7月8日、子爵を叙爵した。同年7月17日、日枝神社宮司に就任し、明治20年(1887年)3月29日に再任、明治23年(1890年)3月4日の帰幽まで務めた。没日付で従二位に叙されている。
位階
出典のないものは公卿補任による。
- 嘉永2年12月29日(1850年2月10日)、従五位下
- 嘉永6年1月4日(1853年2月11日)、従五位上
- 安政元年12月18日(1855年2月4日)、正五位下
- 安政3年2月25日(1856年3月31日)、従四位下
- 安政7年1月5日(1860年1月27日)、従四位上
- 文久3年1月5日(1863年2月22日)、正四位下
- 慶応元年12月23日(1866年2月8日)、従三位
系譜
- 父:吉田良熈
- 母:石川総安の長女
- 妻:奥田直(なお) - 奥田直央長女
- 妻:岩倉静子(やすこ) - 岩倉具視五女
- 生母不明の子女
- 男子:吉田良正 - 子爵
- 男子:清閑寺良貞 - 清閑寺経房養子
- 女子:吉田鈺子(かたこ) - 権掌侍
- 女子:吉田瀧子(たきこ) - 権掌侍
脚注
注釈
- ^ または、天保8年3月10日(1837年4月14日)生。
出典
- ^ 『明治維新人名辞典』, p. 1071.
- ^ 『平成新修旧華族家系大成』下巻, p. 828.
- ^ 『公家事典』, p. 869.
- ^ 『公卿補任』, p. 567, 孝明天皇慶応元年条.
- ^ 『公卿補任』, p. 572, 孝明天皇慶応二年条.
- ^ 『公卿補任』, p. 582, 明治天皇慶応三年条.
- ^ 『公卿補任』, p. 591, 明治天皇明治元年条.
- ^ 『百官履歴』上巻, p. 371–372.
- ^ 『日本人名大辞典』, p. 2035.
- ^ 『官報』第308号, p. 2, 「叙任」.
- ^ 『官報』第316号, p. 1, 「叙任」.
- ^ 『官報』第1121号, p. 2, 「叙任及辞令」.
- ^ 『官報』第2003号, p. 6, 「彙報(官庁事項):宮司死去」.
- ^ 『官報』第2001号, p. 4, 「叙任及辞令」.
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