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Yoriyuki Kuroda
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Biography
黒田 和志(くろだ よりゆき、1851年9月8日(嘉永4年8月13日)- 1917年(大正6年)1月21日)は、明治・大正期の裁判官、政治家、華族。貴族院子爵議員。
経歴
対馬府中藩主・宗義和の六男として生まれる。旧久留里藩黒田家当主・黒田鏻子(れいこ、故久留里藩主黒田直和二女)の入夫となり、1881年4月14日に家督を継承。1884年7月8日に子爵を叙爵した。
1882年5月、大審院書記に任官。以後、仙台始審裁判所判事補、長崎控訴院書記、横浜地方裁判所書記、横浜区裁判所公証人などを務めた。
1897年7月、貴族院子爵議員に選出され、死去するまで在任した。日露戦争の功により勲四等に叙し、旭日小綬章を賜る。
1917年1月、東京市四谷区四谷伝馬町新一丁目の自宅で病のため死去した。
親族
- 長男 黒田広志(ひろゆき、1882-1938) - 子爵。國學院大學卒。
- 次女の雅子(1912-89、関東高等女学校卒)は1934年、エチオピア帝国皇族のアラヤ・アベベ来日時に日本人貴族の妻を公募した際、それに応じて婚約したが、エチオピアの覇権を狙うイタリアの干渉により破談した(日本とエチオピアの関係#第一次世界大戦以後参照)。
- 四男 宗武志(宗重望養子) - 朝鮮李王家の徳恵翁主と結婚。一女をもうけるも妻が統合失調症により入院し帰国、離婚後、日本人女性と再婚し子を生す。
- 三女 篤(1893-?) - 千葉県佐原の平民出身高額納税者・馬場善兵衛(味醂醸造業者。現在は酒造会社)と結婚、のち埼玉出身の河田以備三(帝国産業、大日本海草パルプ製紙の社長だが詐欺師的な人物と言われる)と再婚、のち慶應義塾大学教授・草間滋と再婚。
- 四女 敏(1895-?) - 群馬県の星野源兵衛(伊勢崎銀行取締役ほか伊勢崎町名士)長男・亀年妻。三輪田高等女学校卒。
脚注
- ^ 『平成新修旧華族家系大成』上巻、572-573頁。
- ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』43頁。
- ^ 『華族畫報』下、606頁。
- ^ 『官報』第308号、明治17年7月9日。
- ^ 『官報』第4248号、明治30年8月28日。
- ^ 黒田和志『人事興信録. 4版』人事興信所、1915、く17
- ^ 『大正過去帳』15頁。
- ^ 『人事興信録』第4版 、く17頁。
- ^ 黒田広志『人事興信録. 10版(昭和9年) 上卷』人事興信所、1934
- ^ 馬場本店公益社団法人千葉県観光物産協会、2014年9月17日
- ^ 馬場善兵衛『人事興信録. 4版』人事興信所、1915
- ^ 『財界三十年譜』実業之世界社, 1940、p144
- ^ 虚業家”による似非ベンチャー投資ファンドとリスク管理―大正期“印紙魔”三等郵便局長による郵政資金二百万円超の散布実態小川功、滋賀大学経済学部研究年報Vol.142007
- ^ 黒田広志『人事興信録. 第8版(昭和3年)』人事興信所、1928、ク77
- ^ 星野源兵衛『人事興信録. 第8版(昭和3年)』人事興信所、1928、pホ9
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