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The basics

Quick Facts

Work field
Gender
Male
Birth
Place of birth
Zhejiang, Qing dynasty
Death
Age
57 years
Politics:
Education
Waseda University
The details (from wikipedia)

Biography

殷 汝驪(いん じょれい)は、中華民国の革命家・政治家。中国同盟会以来の革命派人士である。字は鋳夫。弟は殷汝耕。孫娘に殷琪中国語版(前・台湾高速鉄道董事長)がいる。

事績

上海震旦大学を卒業し、日本に留学して早稲田大学政治経済科に入学した。このとき、中国同盟会に加入している。卒業して帰国すると、湖北法政学堂教習に任命された。

中華民国成立後に統一共和党で常務幹事となる。1913年(民国2年)、衆議院議員に選出された。しかし二次革命(第二革命)で孫文(孫中山)に与して敗北し、日本に亡命している。日本では革命派の軍事学校である「浩然廬(浩然学社)」の創設に携わり、さらに1914年(民国3年)、欧事研究会の発起人に名を列ねた(弟の殷汝耕も構成員となっている)。同年帰国し、『時事新報』(上海)の設立に携わる。

1916年(民国5年)7月27日、北京政府財政部次長署理に任ぜられる。しかし1917年(民国6年)4月、精銅工場から賄賂を受け取ったとの疑惑をかけられて逃亡し(後に事実無根と判明)、孫文らの広東軍政府に合流した。1920年(民国9年)、瓊崖実業交通事務処処長に任ぜられる。後に江蘇省銀行総経理となった。

国民政府では、1927年5月2日に福建省政府委員に任命された。8月には国民政府財政部国税特派員、10月25日には福建塩運使もそれぞれ兼任している。1928年(民国17年)8月27日、これらの職を辞任している。1932年(民国21年)1月7日、国民政府文官処参事に任ぜられた。後に職を離れ、上海で会計士となる。その傍ら、旅滬全浙公会主席団主席、東北義勇軍後援会常務理事をつとめた。日中戦争(抗日戦争)勃発後は四川に移って活動を続けた。晩年は書画を楽しんだという。1940年(民国29年)、成都市で病没。享年58。

脚注

  1. ^ 徐主編(2007)、1248頁。
  2. ^ 劉国銘主編(2005)、1986頁。
  3. ^ 中華民国財政部ホームページ。
  4. ^ 謝・李(1999)。
  5. ^ 『政府公報』第203号、1916年(民国5年)7月28日。
  6. ^ 『国民政府公報』第3号、5頁。
  7. ^ 『国民政府公報』第3号、22頁。
  8. ^ 『国民政府公報』第87号、6頁。
  9. ^ 徐主編(2007)、1248頁によると、1928年2月に福建省民政庁庁長に就任したとあるが、『国民政府公報』や劉寿林ほか編(1995)では確認できない。
  10. ^ 『国民政府公報』第971号、1頁。

著書

  • 『亡国鑑』泰東図書局(上海), 1924年(編集。所収されている「印度亡国鑑」を執筆)
  • 『開発瓊崖』
  • 『瓊崖調査記』
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