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Y
Japan
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YDIZZY
Japanese rapper

YDIZZY

The basics

Quick Facts

Intro
Japanese rapper
Places
Work field
Place of birth
Kamiyamachō, Shibuya-ku, Tokyo, Japan
The details (from wikipedia)

Biography

YDIZZY(ディージー、1994年 - )は、日本のラッパーである。ヒップホップクルーであるkiLLa(キラ)の中心メンバーであり、退廃的なムードと享楽的な世界観を持ち味とする。過去の名義としてdiZZyがある。

来歴

生い立ち

1994年、渋谷区神山町で生まれる。音楽は「気づいた時から好き」であった。小学1、2年生の頃から自分でCDを借り、気に入った曲をMDに集めて自分だけのアルバムを作り、ウォークマンで聴きながら学校に通っていた。当時はザ・ブルーハーツや横浜銀蝿、ヒップホップではLL・クール・Jや50セント、D12などを好んで聴いていた。日本語ラップは、K DUB SHINEが「地元の先輩」で、身の回りでよくライブしていたこともあり、キングギドラなどを聴いていた。この頃、同じ小学校のひとつ年上だったNo Flowerと出会う。幼稚園児のときは医者、小学生の時はヤクザになるのが夢だった。

小学生のころからバスケットボールをはじめ、Arjunaと、その弟であるBLAISE、kZmと出会う。中学卒業後は「中目黒にある学校の体育科」に通い、そこで後輩のKEPHAと親交を深める。YDIZZYはストリートボールの大会であるALLDAYにも出場し、バスケットボール選手になることを目指していたものの、メンタルが弱すぎたことと背が伸びなかったこと、捻挫が癖になってしまったことを理由に挫折した。

高校卒業後も彼らは代々木公園に集まり、ストリートバスケを行った。プレイヤーとしては「ポイントガード寄りのシューティングガード」だった。kZmが18、9歳のころ、「自分たちが着たい服が世の中にない」という理由から「kiLLa」というブランドを作り、「そのブランドのルックを作る時に、周りのイケてる奴らを出した」ことを契機として、この友人集団はヒップホップクルーのkiLLaとして知られるようになる。

キャリア

YDIZZYらの集団にkiLLaという名前がついたころ、クルーは音楽を作りはじめるようになる。最初にラップをはじめたのはkZmで、YDIZZYが成人をむかえる少し前のことだった。彼はクラブで遊ぶことはあっても自分がプレイヤー側になることにはあまり興味を持っておらず、当初はkZmの楽曲制作も冷めた目で見ていた。Arjunaがラップをはじめ、クルーで彼らの音楽が流れはじめる中でYDIZZYも音楽に興味を持ち出し、流れに乗るかたちでラップをはじめることとなる。当初はバスケのゲームが終わった後にビートを流し、遊びでラップしていたという。はじめて収録した曲は「Mic Check」で、「意気込み的にはそん時ゼロだったすけど、けっこうイケイケで行った」という。2015年3月15日にミックステープ『Syndrome』をリリースする。

ラップをはじめて3~4か月ほど経った、「Ice Cold City」をリリースしたころ、Chaki Zuluに声を掛けられ、アルバムの制作を持ちかけられる。また、2016年には彼を経由した縁もあり、Anarchyの「NO FEAR」にも参加した。この頃、YDIZZYは「人とも喋れないし、本当に何もできなくなって、家から出れなくなって」しまった時期を経験した。彼は自殺を考え、青木ヶ原樹海まで足を運んだものの、命を絶つことはできず、家に戻った。kiLLaのメンバーは彼のもとを訪れ、励ましてくれたもののYDIZZYはそれに対して「ほんと無理、無理、ほんと無理だから」と言い続けた。1stアルバム『DIZZiNESS』に収録される「MURI MURI」はこの経験をもとにつくられた。こうした時期が3~4か月ほどつづいたものの、Youtubeでラッパーのライブや、Chief Keefのドキュメンタリーなどを視聴して立ち直る。

この理由はみんなよくわからないって言うけど、なぜかって言ったら、おれの元々の夢は仲間と笑っていられることで、笑うためにはおれは戻らないといけないし、やっぱ仲間のために裏切れないし、それで戻った。やるって決めて、速攻でランニング始めて、すごい太ってたから。その日にリリック書いて。それまでは全然書けなかったから、その勢いでごまかして書いて、書けたからNO FLOWERに「まだ遅くない?」って聞いたら「全然遅くないよ」って言われて。

—YDIZZY(FNMNL 2017)

2016年の9月か10月ごろにYDIZZYはスランプから脱却し、10月28日には2ndミックステープ『Syndrome II』、2017年3月29日には『Syndrome III』をリリースする。これらのEPは、「待ってたくれた人たちのため」にフリー音源として公開された。

1stアルバムである『DIZZiNESS』は2017年6月7日にリリースされた。レコーディングスタジオにあまり入らなかったことや、スランプがあったことなども関係し、アルバムの完成までには2年ほどかかった。ビートはすべてChaki Zuluが担当し、ラップにも客演は入らなかった。YDIZZYは同アルバムを「今できる俺の全てで、今の俺のベスト」と位置づけ、性別や、普段ヒップホップを聴くかに関わらず、「全員に聴いてもらいたい」と語った。10月1日には『Syndrome IV』をリリースする。同盤にはkiLLa外部から、アメリカのラッパーであるBONE$ THE SPITTAと台湾のラッパーであるYZが参加した。

その後、2017年末より消息を絶つも、2018年9月16日にアルバム『TROCKSTAR Season1』をリリースする。その後、再び1年にわたり沈黙を守ったのち、2020年2月2日に同アルバム収録「Byuuuun!」のMVを公開する。5月2日にはBLAISEとの共作アルバムである『SOBADSO』をリリースする。2021年11月26日に『TROCKSTAR Season2』をリリースする。

音楽性

FNMNLは、YDIZZYの音楽性を「退廃的なムードと享楽的な世界観をラップと歌で共存させるスタイル」であると表現している。

「頭の中で出てきた音に対して言葉を足してく」ようにして楽曲を制作している。1曲をつくるのに30分ほどしかかからないが、細部を調整し、完成させるまでには3~4時間かけるという。最も影響を受けたラッパーとしてエミネムを挙げているほか、影響を受けたアーティストとして今井美樹や森山直太朗、MAXO CREAM英語版XXXTENTACION、CHIEF KEEF、よく聴くアーティストとして尾崎豊、WANDSを挙げている。

ディスコグラフィ

アルバム・EP

タイトル発売日収録曲備考
DiZZiNESS2017年6月7日
TROCKSTAR Season12018年9月16日
SOBADSO2020年5月2日BLAISEとの共作アルバム。
TROCKSTAR Season22021年11月26日

ミックステープ

タイトル発売日収録曲備考
Syndrome2015年3月15日
Syndrome II2016年10月28日
Syndrome III2017年3月29日
Syndrome IV2017年10月1日

配信限定シングル

発売日タイトル
2017年6月2日GAAAA (feat. BLAISE)
2018年7月9日Abloom
2018年7月16日One Time
2018年7月23日簡単じゃない
2018年8月6日D. W. a... (feat. SALU)
2020年2月22日JIMINY
2020年2月23日WTF
2020年3月30日EL thought
2020年3月31日Melody
2022年2月28日IDWD (First Day Out) / YDIZZY & BLAISE
2022年12月30日SIMF
2023年1月27日Hero
2023年2月3日邪眼 (feat. NO FLOWER)
2023年2月10日Different (feat. BSTA) / YDIZZY, BLAISE & S TILL I DIE

出典

The contents of this page are sourced from Wikipedia article. The contents are available under the CC BY-SA 4.0 license.
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