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Biography

蕭宝義(蕭寶義、しょう ほうぎ、生年不詳 - 509年)は、南朝斉の皇族。巴陵隠王。明帝蕭鸞の長男。もとの名は明基。字は智勇。聾啞者。

経歴

蕭鸞と殷貴嬪のあいだの子として生まれた。494年(建武元年)10月、持節・都督揚南徐二州諸軍事・前将軍・揚州刺史に任じられた。11月、晋安郡王に封じられた。始安王蕭遙光が刺史の任を代行した。まもなく宝義は右将軍の号を受け、石頭に駐屯した。495年(建武2年)7月、使持節・都督南徐州諸軍事・鎮北将軍・南徐州刺史として出向した。498年(永泰元年)8月、征北大将軍・開府儀同三司の位を受けた。499年(永元元年)、蕭遙光の乱が鎮圧されると、宝義は都督揚南徐二州諸軍事・驃騎大将軍・揚州刺史に任じられた。東府は兵火にかかって焼失していたが、蕭宝巻が宮殿の造営に精を出していたため、修築することができなかった。そこで宝義は西州に駐屯した。501年(永元3年)1月、司徒に上った。同年(中興元年)3月、和帝が即位すると、宝義は侍中・司空となった。12月、梁王蕭衍が建康を平定すると、宝義は宣徳太后の令により太尉となり、司徒を兼ねた。

502年(天監元年)4月、蕭衍が梁の皇帝として即位すると、宝義と逃亡した宝寅を除く、蕭鸞の男子を全員殺した。宝義は謝沐県公に封じられた。まもなく巴陵郡王に封じられ、斉の祭祀を奉じた。509年(天監8年)7月、死去した。

  • 劉氏 (劉悛の娘)

伝記資料

  • 『南斉書』巻50 列伝第31
  • 『南史』巻44 列伝第34
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