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Watabe Mitsuzane
The basics
Quick Facts
Gender
Male
Star sign
Age
51 years
Family
Father:
Children:
The details (from wikipedia)
Biography
分部 光実(わけべ みつざね)は、江戸時代中期から後期にかけての大名。近江国大溝藩8代藩主。分部家9代。官位は従五位下・左京亮。
生涯
宝暦6年(1756年)6月21日、7代藩主・分部光庸の長男として、大溝にて誕生。母は黒川氏。
天明5年(1785年)3月10日、父が隠居したため、その跡を継いだ。4月19日には初めて領国入りをするための暇が認められた。天明5年(1785年)6月、藩校「修身堂」を創設し、中村鸞渓(中村徳勝)をその長(文芸奉行)に任命した。天明6年(1786年)12月18日、従五位下左京亮に叙任。
天明8年(1788年)6月には心学者の中沢道二を登用するなどして学問発展に尽くした。また、藩内で博打などが横行して士風が緩んでいたため、博打を禁止し、厳格な法令を制定することで風紀の立て直しを図った。藩財政においても窮乏化を再建するため、自らが厳しく倹約することで見本とした。寛政3年(1791年)には大倹約令を出した。
文化5年(1808年)4月23日死去。享年53。跡を次男・光邦が継いだ。
系譜
『寛政重修諸家譜』の記載
光実は『寛政重修諸家譜』編纂時の当主である。『寛政譜』の記載は以下の通り。子の続柄の後に記した ( ) 内の数字は『寛政譜』の記載順。
- 父:分部光庸
- 母:黒川氏
- 正室:本多正珍の娘
- 長男(1):分部光弘
- 長女(2)
- 二女(3)
- 三女(5)
- 四女(6) - 安部信操室
- 側室:小沢氏
- 次男(4):分部光邦
- 側室:某氏
- 五女(7) - 土方久敬婚約者
- 三男(8):唯之助
補足
- 『寛政譜』編纂時点では3男5女が記されている。正室本多氏所生とされているのが光弘・長女・次女・三女・四女(安部信操室)。五女(土方久敬婚約者)と唯之助が同母とされている
- 森川俊知正室(法号は仙寿院殿天誉皓月清光貞照大法尼)については、八重という実名が伝わっており、その実母の法名は桂雲院殿心月妙鏡大禅定尼である
他の情報源を勘案した子女の一覧
- 長男:分部光弘、生母は正室
- 長女:千代、生母は小沢氏(側室)
- 次女:梅 - 小出英筠継室
- 次男:分部光邦
- 三女:八重 - 森川俊知継室
- 四女:岩 - 田沼意留継室
- 五女:みえ
- 六女:恵茂 - 長岡義之室
- 三男:唯之助、生母は側室
- 四男:溝口勝匡 - 実匡とも
- 五男:池田長溥 - 池田長喬の養子
- 七女:糸
- 八女:賀弥 - 高力某の養女
- 九女:佐恵 - 久留某の養女
- 十女:安部信操正室
備考
- 俳句や茶道を好んだ。
脚注
注釈
出典
- ^ 『寛政重修諸家譜』巻第三百九十二、国民図書版『寛政重修諸家譜 第三輯』p.8、『新訂寛政重修諸家譜 7』p.8。
- ^ “分部光実”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus. 2022年1月5日閲覧。
- ^ 膽吹覚 2008, p. 53.
- ^ 膽吹覚 2008, p. 51.
- ^ “中村鸞渓”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus. 2022年1月5日閲覧。
- ^ “中村徳勝”. 高島ものしり百科.高島市立図書館. 2022年1月7日閲覧。
- ^ 「2019年大溝400年すごろく」『広報たかしま』2019年1月、16-17頁、2022年1月7日閲覧。
- ^ 『寛政重修諸家譜』巻第三百九十二、国民図書版『寛政重修諸家譜 第三輯』p.8、『新訂寛政重修諸家譜 7』pp.8-9。
- ^ “嘉永元年(1848年)”.祐天寺. 2022年1月5日閲覧。
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