Toshihiko Nogami
Quick Facts
Biography
野上 敏彦(のがみ としひこ、1956年4月13日 - )は、兵庫県出身のレーサー。マツダスピードのメカニック出身。
経歴
高度経済成長期の重工業を工作機械で支えた、千代田機械貿易㈱(現:CKB)3代目社長、野上巍の長男
野上巍は、野上照代の父野上巌と異母兄弟の弟
1980年、東海大学 工学部 動力機械工学科卒 マツダオート東京入社
1982年、マツダスピード設立と同時に移籍 メカニックとしてル・マン24時間レースに6回参加
1991年、同社を退社。ノガミプロジェクトを設立
モータースポーツ略歴
マツダスピード在籍中から富士フレッシュマンレースにファミリア(BD1051)で参加。
1982年、デビュー戦で優勝。
1984年からRJ/RSレースに参加、シリーズ上位多数。94年にシリーズチャンピオン。
筑波RSレースのコースレコードホルダー 54秒829
1989年~1990年、ワークス放出のマツダ・757で富士耐久シリーズに参戦。
1991年、マツダスピード退社後、プロドライバーとしてN1耐久(現スーパー耐久)にいすゞ・ジェミニで参戦。
いすゞのサテライトチーム(小山ガレージ)で運転、クラス優勝2回・クラス2シリーズチャンピオン。
1994年、インターナショナル鈴鹿500kmレースで総合3位 プロト2クラス1位 鈴鹿1000km耐久レースで、総合11位、プロト2クラス4位。
1995年、鈴鹿1000km耐久レースで玉本秀幸、輿水敏明と組み総合12位 プロト2クラス2位。
全日本GT選手権にシリーズ参戦し、RX-7(FC3S)でGT300シリーズ8位。
1996年、鈴鹿1000km耐久レース RX-7(FC3S)で総合29位、クラス7位 。完走国産車最上位。
1997年~98年、全日本GT選手権にREロードスター(NA6C)でシリーズ参戦。ファン投票でオールスター戦にも参加。
1989年~99年 雑誌、テレビ媒体のチームで行なわれる、ロードスターメディア対抗4時間耐久レースにも多数参加しており、最高位3位の成績を2回残している。
2002年、エンジニア/ドライバーとしてユーノスロードスター(NA6CE)をベースにGT300仕様を製作、全日本GT選手権レースに参加したことで注目を浴び、特徴のあるマシンデザインがバンダイビジュアルの担当者の目に止まり、藤島康介企画・原案、ワタナベシンイチ監督の劇場版アニメエクスドライバー Nina&Rei Danrer Zoneで主役のNinaの乗るチューニングカーとしてアニメ化されて、NOPROロードスター GT300の名称で映画内に登場する。
2012年、レース復帰、長男と親子でスーパー耐久シリーズに、DE5型マツダ・デミオでシリーズ参戦。最高位2位、シリーズ5位。
2013年、スーパー耐久シリーズ、シリーズ参戦 第3戦富士スピードウェイにてクラス優勝 他入賞 シリーズ4位
富士での優勝は、メジャー耐久レースにおいて、マツダのロータリー以外、レシプロエンジン搭載レース車で史上初
2014年、スーパー耐久シリーズ、シリーズ参戦 2度の表彰台を含め6戦中5戦で入賞 シリーズ3位
2015年、スーパー耐久シリーズ、シリーズ参戦 初のディーゼル車となるDJ5型デミオSKY-Dを投入。参戦しながら開発を進め、最終戦で3位表彰台。シリーズ4位。
2016年、スーパー耐久シリーズ、シリーズ参戦 第3戦鈴鹿サーキットでディーゼル車による国内レース初優勝を達成。この優勝を含め3度の表彰台を獲得し、シリーズ3位。
現在、神奈川でマツダ・ロードスター専門のチューニングショップ「ノガミプロジェクト(NOPRO)」を経営。
脚注
- ^ “Toshihiko Nogami | Racing career profile | Driver Database”. www.driverdb.com. 2019年11月11日閲覧。
- ^ “ノガミプロジェクト”. NOPRO ハヤマ ファクトリー. 2019年5月18日閲覧。
関連項目
- スーパー耐久
- 全日本GT選手権
- エクスドライバー