Tetsuji Yamamoto
Quick Facts
Biography
山元 哲治(やまもと てつじ、1961年1月28日 - )は、日本のゲームクリエーター、プロデューサー、作詞家。
株式会社バンダイ、株式会社ウィズ、株式会社ソニー・ミュージックエンタテインメント、株式会社ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)を経て、現在はゲーム制作会社である株式会社epicsの代表取締役社長兼CEOに就任している。
プロフィール
東京都八王子市生まれ。小中学校を世田谷区~渋谷区で過ごし、石川県立金沢商業高等学校を卒業。
株式会社バンダイ、株式会社ウィズ、株式会社ソニー・ミュージックエンタテインメントを経て、株式会社ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)の創業メンバーとしてPlayStationの立ち上げに尽力。ジャンルに捉われないユニークなアイデアの数々で名作を生み出し続け、ヒットメーカーとして多大なる功績を残した(PlayStation20周年企画! PlayStationの名作を手掛けたプロデューサーたち)。
手掛けた作品は、『ジャンピングフラッシュ』『ポポロクロイス物語』『I.Q Intelligent Qube』『がんばれ森川くん2号』『やるドラ』シリーズなど多数。
2006年SCEを退社し、現在はゲーム制作会社、株式会社epicsの代表取締役社長兼CEO。
略歴
- 1979年 - バンダイ運輸株式会社に入社。
- 1981年 - 株式会社バンダイに転籍。
- 1986年 - 株式会社ウィズの取締役に就任。
- 1987年 - 株式会社ジェン・クリエイティブハウスの代表取締役に就任。
- 1992年 - 株式会社ソニー・ミュージックエンタテインメント。
- 1993年 - 株式会社ソニー・コンピュータエンタテインメントに転籍、ソフト制作部門で部長兼エグゼクティブプロデューサーを担当。
- 2006年 - 株式会社ウィズの取締役および株式会社epicsの代表取締役に就任。
- 2008年 - ウィズからepicsが独立。
作品
企画・ディレクション
- 1987年 - 所さんのまもるもせめるも(ファミリーコンピュータ)
- 1988年 - ビバ・ラスベガス(ファミリーコンピュータ)
- 1991年 - 白熱プロ野球 ガンバリーグ(スーパーファミコン)
企画・プロデュース
- 1995年 - ジャンピングフラッシュ(PlayStation)
- 1995年 - ポポロクロイス物語(PlayStation)
- 1995年 - PHILOSOMA(PlayStation)
- 1997年 - I.Q(PlayStation)
- 1997年 - がんばれ森川君2号(PlayStation)
- 1998年 - ポポローグ(PlayStation)
- 1998年 - やるドラシリーズ(PlayStation)
- 2000年 - ポポロクロイス物語II(PlayStation)
- 2001年 - ボクと魔王(PlayStation 2)
- 2014年 - CHAMPION'S GOLF(Smartphone)
ポポロクロイス物語
1980年代後期、EPIC SONY RECORDSニューメディア部GS制作課のディレクターだった山元は、企画ネタを探している最中にアニメ制作会社の社長にTVシリーズ『ポポロクロイス物語』の企画書を紹介される。
この時点では、このTVシリーズの企画書は数年前にボツになったものだったが、ゲーム用の企画ネタとして使えると判断した山元は、スーパーファミコンソフトのゲームとして企画を立てて会社に提案した。
ところが、ソニーと任天堂が共同開発したスーパーファミコン互換機であるPlayStation事業が立ち上がり、急遽、スーパーファミコン互換機PlayStation専用ソフトとして『ポポロクロイス物語』の企画を練り直し、企画書を書き直した。
しかし、同事業は諸般の事情により発売が頓挫。ソニーは独自制作によるゲーム事業進出を決め、現在のPlayStationが生まれる。これにより、同ソフトの企画書は三度めの書き直しを行うことになり、本格的な制作がスタート。現在のPlayStation『ポポロクロイス物語』はそれから3年半後の1996年7月12日にリリースされた。
『ポポロクロイス物語』の原作者、田森庸介とは二十数年の付き合い。『ポポロクロイス物語』『ポポローグ』『金と月のマヤ』など田森作品の原作権は山元が代表を務める株式会社epicsがライツ活動を行っている。