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Japan
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Tatsuo Aida
Japanese biologist and geneticist

Tatsuo Aida

The basics

Quick Facts

Intro
Japanese biologist and geneticist
Places
Gender
Male
Place of birth
Kyoto Prefecture, Japan
Age
86 years
Education
University of Tokyo
The details (from wikipedia)

Biography

会田 龍雄(あいだ たつお、明治4年11月21日(1872年1月1日) - 昭和32年(1957年)12月16日)は、日本の生物学者、遺伝学者。

1903年 - 1941年、京都高等工芸学校(現・京都工芸繊維大学)教授。1932年、帝国学士院賞受賞。

経歴

京都市出身。1872年、有栖川宮家に剣客として仕えた勤王派の父(福島県、矢吹出身)と外科医の娘である母(京都市出身)のあいだに長男として生まれる。銅駝校(小学校)、京都府尋常中学校、第三高等学校を経て、帝国大学理科大学動物学教室に入学、飯島魁に師事。同教室を1896年卒業後、1898年、第五高等学校(熊本)教授。この時同僚に夏目漱石がいた。1903年実家のある京都に戻り、京都高等工芸学校教授。

島津製作所初代社長・島津源蔵の援助によって、京都の自宅の庭に水槽などの実験用設備を整え、メダカの色素の遺伝について精密な交配実験を行った。高等工芸には1週間に1日出勤すればよかったので、自宅でのびのびと研究することができたという。シロメダカの体色が限性遺伝という遺伝様式に従うことを発見し、Y染色体には遺伝子が含まれていない、とした当時の常識をくつがえした。実験結果は、日本の学会には発表せず、アメリカの専門学術雑誌に直接発表した。メダカを実験材料とした遺伝学について、その他にも多くの業績をあげ、1932年帝国学士院賞。

父親譲りの山岡流剣道の達人でもあった。多趣味で、刀剣鑑定、弓道、狩猟、書などにも通じていた。

なお、「アーロン収容所」などの著作で知られる会田雄次(京都大学教授、西洋史)は彼の次男である。会田雄次は「新選組とメダカ学者」という文章で、彼の父祖の歴史を紹介している(中央公論、昭和42年、3月号、248-254)。

脚注


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