peoplepill id: tatsuhiko-kimata
TK
Japan
5 views today
4 views this week
Tatsuhiko Kimata
Japanese baseball player

Tatsuhiko Kimata

The basics

Quick Facts

Intro
Japanese baseball player
Places
Work field
Gender
Male
Place of birth
Okazaki, Aichi Prefecture, Chūbu region, Japan
Age
80 years
The details (from wikipedia)

Biography

木俣 達彦(きまた たつひこ、1944年7月7日 - )は、愛知県岡崎市出身の元プロ野球選手(捕手)、野球評論家。

来歴・人物

岡崎市立広幡小学校、岡崎市立葵中学校卒業。中学から捕手を務め、中京商業高校では1962年に春夏連続で甲子園に出場。その後慶應義塾大学を受験するが不合格となり中京大学に進学し、1年生で正捕手になり秋季リーグで首位打者とMVPを獲得する。そのため中日ドラゴンズからの誘いがあり、中退して1964年に入団する。小柄ながら強打の捕手として活躍。

1969年にセ・リーグの捕手では史上初の30本塁打となる33本塁打、翌1970年にも30本塁打をマークする。典型的な長距離打者であったがゆえに粗さが目立ち、打率も低い為、それを改善するために、一本足打法でグリップを極端に下げてからトップの位置に持っていくマサカリ打法を編み出し上からボールをぶつけるレベルヒッターへ転向し安打を量産(本人曰く、「マサカリ打法とは、打法改造する前の1971年に中日スポーツの記者からつけてもらった」とのこと)。

優勝した1974年には自己最高の打率.322(リーグ2位)を記録し、以後4度3割をマークし、永く中日の正捕手として活躍する。1980年にはセ・リーグの捕手として史上初の2000試合出場をマークする(プロ野球史上では野村克也に継ぐ史上2人目。ただし木俣は捕手としての出場が引退まで2000試合には満たず)。近藤貞雄監督就任において、木俣の後釜となる捕手の獲得が急務との判断により中尾孝義をドラフト指名。翌年から中尾を正捕手に据え出場機会が減少し、ヒザの故障もあり1982年のリーグ優勝を機に、星野仙一とともに引退。翌年のオープン戦で行われた引退試合では、木俣が対戦した中で最高の投手と評価していた江夏豊(当時日本ハム)に特に依頼して登板してもらった。

捕手としては野村克也、谷繁元信、古田敦也に次いで通算で4位の安打数を記録。自宅にありとあらゆる器具を取り揃え、トレーニングの方法を熱心に研究していたことから野球博士のニックネームがあった。また、キャッチャーマスクに喉を保護するスロートガードをはじめて付けたのも木俣である。引退後は、1983年から1986年まで、中部日本放送(CBC)解説者、中日スポーツ評論家を務めた後、1987年から1989年まで中日一軍総合コーチを務め、1988年のリーグ優勝に貢献。1990年から1994年まで再びCBC解説者、中日スポーツ評論家を経て、1995年に一軍打撃コーチを1年間担当した後、三たびCBC解説者、中日スポーツ評論家となり現在に至る。中日OB会の副会長を務めていたが高木守道が2012年から監督に就任する為、木俣がOB会会長代行を務めることになった。2012年11月25日よりOB会の会長代行から正式にOB会の会長に就任し、2015年11月29日まで務めた(その後、鈴木孝政が受け継いでいる)。2017年3月2日にベースボール・チャレンジ・リーグ・滋賀ユナイテッドベースボールクラブのヘッドコーチに就任。

捕手の経験を生かし、試合展開を大胆に予測する解説が特徴である。プロ野球マスターズリーグの名古屋80D'sersに参加している。

2005年4月発売の中日ドラゴンズ70年 昇竜の軌跡(ベースボール・マガジン社 ISBN 978-4-583-61324-6)には、「ミスタードラゴンズの資格十分」と書かれている。

現役時代には星野仙一とともに永田や佛壇店のCMに出演していた(「欲しいの」「決まったー」のフレーズが有名)。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1964中日561181137246003090010400243.212.239.265.505
19651324554192689911013038337324127111.212.258.310.569
1966126424387299619191444112612664528.248.302.372.674
1967842412193449130151073200301811356.224.286.489.774
1968118417377431091512118959254030467211.289.351.501.852
196912042638451103200332226013233532705.268.333.578.911
1970128515466641321613024065111044146411.283.350.515.865
1971126486422621181712721871230553965110.280.368.517.885
1972125496448511201412119948220442225415.268.333.444.778
19731174153634091150913332100246946717.251.341.366.708
1974123480438491412511822250332039116818.322.379.507.886
197511941738724108170313443122322634013.279.323.346.669
1976121430397371202201418440110425344711.302.350.463.813
1977123417384321191601317451123225234112.310.357.453.810
1978117431385371131401617555026136633516.294.358.455.813
1979126497459531431601721072105229625120.312.355.458.813
1980125466429431281301819567053230524715.298.347.455.802
19811082562321964100101043600221783199.276.333.448.782
198248555339001123000020073.170.200.226.426
通算:19年214274426762704187627772853022872203447345477352915214.277.336.447.783
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰

  • ベストナイン:5回 (1969 - 1971年、1977年、1979年)

記録

  • オールスターゲーム出場:8回 (1970年、1971年、1974年、1975年、1977年 - 1980年)
  • 初出場・初先発出場:1964年6月2日、対国鉄スワローズ9回戦(中日スタヂアム)、8番・捕手として先発出場
  • 初安打:1964年6月6日、対大洋ホエールズ11回戦(中日スタヂアム)、5回裏に稲川誠から右中間二塁打
  • 初打点:同上、7回裏に稲川誠から内野ゴロの間に記録
  • 初本塁打:1965年5月19日、対大洋ホエールズ7回戦(川崎球場)、3回表に及川宣士からソロ
  • 100本塁打:1970年7月13日、対ヤクルトアトムズ12回戦(明治神宮野球場)、7回表に簾内政雄からソロ  ※史上57人目
  • 150本塁打:1972年5月24日、対大洋ホエールズ7回戦(中日スタヂアム)、6回裏に平松政次からソロ ※史上30人目
  • 1000試合出場:1972年9月7日、対広島東洋カープ25回戦(広島市民球場)、5番・捕手として先発出場 ※史上163人目
  • 1000本安打:1974年7月9日、対ヤクルトスワローズ11回戦(中日スタヂアム)、2回裏に渡辺孝博から左越2ラン ※史上87人目
  • 200本塁打:1976年5月3日、対ヤクルトスワローズ6回戦(ナゴヤ球場)、3回裏に会田照夫から左越ソロ ※史上24人目
  • 1500試合出場:1977年4月10日、対読売ジャイアンツ3回戦(ナゴヤ球場)、7番・捕手として先発出場 ※史上53人目
  • 1500本安打:1978年8月15日、対横浜大洋ホエールズ18回戦(横浜スタジアム)、5回表に高橋重行から左前安打 ※史上35人目
  • 250本塁打:1979年7月28日、対ヤクルトスワローズ14回戦(明治神宮野球場)、7回表に酒井圭一から2ラン ※史上16人目
  • 2000試合出場:1981年4月30日、対広島東洋カープ5回戦(ナゴヤ球場)、7番・捕手として先発出場 ※史上15人目

背番号

  • 23 (1964年 - 1982年)
  • 66 (1987年 - 1989年)
  • 84 (1995年)
  • 77 (2017年 - )

関連情報

出演番組

現在の出演番組

  • 侍プロ野球
  • CBCドラゴンズナイター
  • ドラ魂KING
  • J SPORTS STADIUM
  • サンデードラゴンズ(コメンテーター)

過去の出演番組

  • 久野誠のドラゴンズワールド
  • 木俣達彦の燃えよドラゴンズ(司会)

著書

  • 『ザ・捕手:私が出会った監督・選手たち』(中日新聞社、2011年10月、ISBN 9784806206316)

脚注

関連項目

  • 愛知県出身の人物一覧
  • 中京大学の人物一覧
  • 中日ドラゴンズの選手一覧
The contents of this page are sourced from Wikipedia article. The contents are available under the CC BY-SA 4.0 license.
Lists
Tatsuhiko Kimata is in following lists
comments so far.
Comments
From our partners
Sponsored
Tatsuhiko Kimata
arrow-left arrow-right instagram whatsapp myspace quora soundcloud spotify tumblr vk website youtube pandora tunein iheart itunes