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Biography

この記事の項目名には、分野により1字目と2字目に以下のような表記揺れがあります。
  • 沢為量(共に新字体)
  • 澤爲量(共に正字体)
  • 澤為量(正新両字体の不規則な混用)

澤 為量(さわ ためかず)は、江戸時代後期の公卿。治部大輔・澤量行の子。官位は正二位・参議。澤家7代・9代当主。維新後子爵。

経歴

文政4年(1821年)、従五位下。文政8年(1825年)、元服して正五位下武蔵介。天保10年(1836年)、従四位上民部大輔。嘉永元年(1848年)、正三位。安政2年(1855年)、従二位。

安政5年(1858年)、養子・宣嘉と共に廷臣八十八卿列参事件に加わり、日米修好通商条約勅許に反対。その後は病弱のため、公職から退いた。

戊辰戦争では、慶応4年(1868年)2月に奥羽鎮撫使総督に挙げられ、ついで九条道孝の総督就任と共に副総督となって出陣した。奥羽各地を転戦して10月凱旋する。明治2年(1869年)6月、軍功により賞典禄200石を永世下賜された。同年8月宮内権大丞に任ぜられたが、明治3年(1870年)11月に退官して宣嘉に家督を譲った。しかし明治6年(1873年)9月、宣嘉の薨去により再度家督を継承し、明治16年(1883年)9月特旨をもって従二位に叙せられた。

明治17年(1884年)7月7日、華族令により子爵。明治22年(1889年)薨去。享年78。死に先立って正二位に叙せられた。後に澤家は伯爵に陞爵する。

栄典

  • 1889年(明治22年)
    • 8月8日 - 正二位
    • 8月9日 - 勲二等旭日重光章

系譜

  • 父:澤量行
  • 母:家女房
  • 妻:不詳
  • 生母不明の子女
    • 長女:藤子 - 澤宣嘉正室
    • 次女:延子 - 石山基正室、※基正は宣嘉の実弟・石山基文の子
      • 子に石山基則、正子(北畠通城(久我建通四男)室)
    • 長男:澤宣種 - 宣嘉養子
    • 三女:忠子 - 岡崎国有室
    • 四女:久子 - 岩倉具定正室
      • 玄孫:加山雄三(歌手)
  • 養子
    • 男子:澤宣嘉 - 姉小路公遂五男

脚注

  1. ^ 『官報』第1835号「叙任及辞令」1889年8月10日。

関連項目

  • 澤家


日本の爵位
先代:
叙爵
子爵
澤家初代
1884年 - 1889年
次代:
澤宣量
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