peoplepill id: taira-no-narifusa
TNN
2 views today
2 views this week
Taira no Narifusa
���安時代末期の武士。平盛房の長男。後白河院の近臣。正五位下、左衛門佐

Taira no Narifusa

The basics

Quick Facts

Intro
���安時代末期の武士。平盛房の長男。後白河院の近臣。正五位下、左衛門佐
Gender
Male
Family
Father:
Taira no Morifusa
Children:
Taira no Narikane Yamashina no Rishige
The details (from wikipedia)

Biography

平 業房(たいら の なりふさ)は、平安時代末期の武士。斎院司次官・平盛房の長男。後白河院の近臣。

経歴

法住寺殿行われた今様の会に出席するなど、今様を通じて後白河上皇の寵愛を受けるようになったとみられる。

仁安2年(1167年)には衛門尉として建春門院家の侍の中にその名が見え、同年2月には検非違使宣旨を蒙る。仁安4年(1169年)熊野御幸に供奉した

安元元年(1175年)相模守の官職にあったが、自ら造営した浄土寺に後白河法皇と建春門院の御幸を仰いだ。治承元年(1177年)正月に木工頭に任ぜられるが、同年6月に発生した鹿ヶ谷の政変により解官される。この際に多くの院近臣が処分を受けたが、業房だけは後白河法皇の懇願によって平清盛に釈放され、世間に驚きをもって受け取られた

治承3年(1179年)正月に正五位下・左衛門佐に叙任される。しかし、同年11月の治承三年の政変により再び解官され、伊豆国への配流に処されるが、途中で逃亡する。同年12月に清水寺の僧房にて兵衛尉・藤原知綱に捕らえられ、権大納言・平宗盛のもとで拷問を受けた末に殺害された。

業房の死後、妻の栄子は後白河法皇に出仕してその寵愛を受けて覲子内親王(宣陽門院)を生んだことで、異父兄である業成の息子も登用されることになった。

文治2年(1186年)7月に浄土寺付近の堂で供養が行われている。

肖像画

神護寺三像などと共に、神護寺が肖像画を所蔵していたと伝わっているが、現存していない。

官歴

  • 仁安2年(1167年) 正月20日:見左衛門尉。2月24日:検非違使宣旨
  • 安元元年(1175年) 8月11日:見相模守
  • 安元3年(1177年) 正月8日:木工頭。6月:解官(鹿ヶ谷の政変)
  • 治承3年(1179年) 正月5日:正五位下。正月19日:左衛門佐。11月18日:解官、流罪伊豆国(治承三年の政変)。12月:卒去

系譜

『尊卑分脈』による。

  • 父:平盛房
  • 妻:高階栄子(丹後局)
    • 長男:平業兼
    • 次男:山科教成(1177-1239) - 藤原実教の養子、山科家の祖
    • 女子:藤原範能室
    • 女子:藤原宗隆室
    • 女子:藤原兼光室
The contents of this page are sourced from Wikipedia article. The contents are available under the CC BY-SA 4.0 license.
Lists
Taira no Narifusa is in following lists
comments so far.
Comments
From our partners
Sponsored
Credits
References and sources
Taira no Narifusa
arrow-left arrow-right instagram whatsapp myspace quora soundcloud spotify tumblr vk website youtube pandora tunein iheart itunes