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Japan
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Sue Ogura
Japanese pianist

Sue Ogura

The basics

Quick Facts

Intro
Japanese pianist
Places
Work field
Gender
Female
Place of birth
Ogaki, Gifu Prefecture, Japan
Age
53 years
Education
Tokyo Academy of Music
Shitaya-ku, Tokyo Prefecture, Japan
Berlin University of the Arts
Berlin, Margraviate of Brandenburg, Germany
Instruments:
The details (from wikipedia)

Biography

小倉 末(おぐら すえ、1891年2月18日 - 1944年9月25日)は岐阜県大垣市出身の日本のピアニスト。東京音楽学校(現東京芸術大学)教授。戦前日本を代表する女流ピアニストである。

生い立ち

小倉末は、1891年に小倉周一(元大垣藩士小寺専助五男)、紫登の三女として生まれた。幼い頃からドイツ人の義姉マリアよりピアノの手ほどきを受け、1910年3月に神戸女学院を卒業 (4期) した。その前後ですでに演奏活動を行っており、1905年から1911年までに東京音楽学校に学び、その間学内外で演奏を行った記録が残っている。

また、末は「日本最初の婦人ゴルファー」ともいわれている。15歳の時にゴルフ場を作ったアーサー・ヘスケス・グルームの持つ山荘で休憩する姿の写真が、神戸の六甲ゴルフ倶楽部のアルバムに「Miss sueko ogura」の書き込みと共に残されている。

学生時代

1911年に東京音楽学校に入学し、ルドルフ・ロイター英語版の指導を受けるが、ロイターは末の才能を賞賛して留学を勧め、同年11月にドイツのベルリン王立音楽院(現ベルリン芸術大学)に留学した。ベルリンではカール・ハインリヒ・バルトにピアノを師事し、2年ほど学んだが、1914年に第一次世界大戦の勃発によりアメリカ合衆国に渡る。

教師時代

アメリカに渡り、当初はニューヨークで演奏活動をしていた。そのなかで、1914年10月14日にカーネギーホールの室内楽ホール(現在のワイル・リサイタル・ホール)でGranperry Piano Schoolが開いたピアノリサイタルで演奏した記録が残っている。これは日本人がカーネギーホールで演奏した中で最も古いものである可能性がある。

その後シカゴに移りメトロポリタン音楽院英語版(現在は閉校)の教授として招聘された。

1916年4月に日本に戻り、翌1917年からは教授に任命され、多数の演奏会を開催した。1944年6月に音楽学校刷新に併せて辞表を出すまでその職を務めた。その数ヶ月後の1944年9月25日に亡くなっている。1937年に勲四等瑞宝章を受章。墓所は多磨霊園。

著書

  • 新選ピアノ名曲集 (1932)
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