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27 Dec 1841 - 7 Dec 1906
Shirakawa Sukenori
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Biography
白川 資訓(しらかわ すけのり)は、日本の公家、華族。子爵。
経歴
山城国京都で、右近衛権中将・資敬王の長男として誕生。旧名・資訓王。
嘉永2年3月29日(1849年4月21日)に元服し昇殿を許される。嘉永4年8月14日(1851年9月9日)神祇伯に就任。安政元年(1854年)内裏焼失の際に神鏡を奉遷し孝明天皇より賞された。同年12月18日(1855年2月4日)侍従を兼ね、安政4年5月15日(1857年6月6日)右近衛権少将を兼ねた。元治元年8月29日(1864年9月29日)右近衛権中将に進んだ。
慶応4年1月17日(1868年2月10日)神祇事務科が設けられ神祇事務総督に就任。同年2月20日(1868年3月13日)参与、神祇事務局補となる。さらに議定、神祇事務局督を務めた。明治2年6月1日(1869年7月9日)神祇制度の改変により神祇伯が廃止され、伯王の称号も自然消滅した。同年7月8日(8月15日)神祇大副に就任。以後、神祇官出仕、神祇大掌典、大掌典、式部寮七等出仕兼大掌典、式部寮御用掛などを歴任し宮中祭祀に携わり、1873年11月3日、式部寮御用掛を免じられ退官した。
1884年7月8日、子爵を叙爵した。
栄典
- 1900年(明治33年)12月10日 - 従二位
系譜
- 父:白川資敬王(1822 - 1851)
- 母:家女房
- 正室:幾子(1848 - 1906)三条西季知の五女。
- 長男:資長(1871 - 1959)- 貴族院子爵議員。
- 長女:縫子(1875 - 1954)- 篠田宮之助の妻。
- 養子
- 男子:白川雅好 - 実弟。戊辰戦争時はまだ嗣子だった。
脚注
- ^ 『明治維新人名辞典』, pp. 516–516.
- ^ 『平成新修旧華族家系大成』上巻, p. 763.
- ^ 『公家事典』, p. 746.
- ^ 『百官履歴』上巻, pp. 350–351.
- ^ 『公家事典』, p. 742.
- ^ 『官報』第308号、明治17年7月9日。
- ^ 『官報』第5234号「叙任及辞令」1900年12月11日。
- ^ 新潟県西頸城郡教育会 編『西頸城郡誌』
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