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Japan
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The basics

Quick Facts

Places
Gender
Male
Place of birth
Akasaka-ku, Tokyo City, Tokyo Prefecture, Japan
Age
73 years
Education
Seikei Senior High School
The details (from wikipedia)

Biography

井上 誠一(いのうえ せいいち、1908年(明治41年)8月1日 - 1981年(昭和56年)11月26日)は、東京府(現・東京都)出身のゴルファー、ゴルフ場設計者。

人物

井上誠一は、1908年(明治41年)8月11日 、東京府東京市赤坂区に、眼科医の長男として生まれる。成蹊高等学校在学中に、嗜眠性脳炎を患い叔父の井上達四郎に、治療にはゴルフが最適とゴルフを始めた。1930年(昭和5年)、「川奈ホテルゴルフコース・富士コース」(静岡県)にいた時、「東京ゴルフ倶楽部・朝霞コース」(埼玉県)の設計のためにイギリスから来日していたチャールズ・ヒュー・アリソンに出会い、彼の仕事を見て「面白そうだ、僕もやってみよう」と思い立ったと、コース設計との出会いについて語った。

1931年(昭和6年)、叔父の井上達四郎の勧めで「霞ヶ関カンツリー倶楽部」(埼玉県)に入会した。当時、霞ヶ関カンツリー倶楽部の東コースはアリソンの設計で改造中、井上は技師ジョージ・ペングレースの現場助手として改造に参加した。その後、西コースを設計する藤田欽哉の設計にも参加した。また、隣接地に居住を構え、コース造りの日々を過ごし、コース設計の基礎を学んだ。この時、アリソンの設計図を研究、ジョージ・ペングレースを観察し、後にコース設計家として大いに役立った。井上は、海外のゴルフ関連文献を取り寄せ、知識の乏しい農業や建設など大きな財産となった。

1935年(昭和10年)、「那須ゴルフ倶楽部」(栃木県)の設計の藤田欽哉に同行し建設地を検分し、藤田の健康が優れず井上に任せられた。1935年(昭和10年)、「久里浜ゴルフ場」(神奈川県)を開場させた。翌1936年(昭和11年)、「那須ゴルフ倶楽部」が開場、井上の年齢は若干28歳だった。

終戦、1948年(昭和23年)、沖縄で米軍の依頼で「泡瀬メドースゴルフクラブ」(沖縄県)の設計を行い開場させている。1950年(昭和25年)、安達建設に入社、設計部で「川崎国際カントリー倶楽部」(神奈川県、現・「川崎国際生田緑地ゴルフ場」)の設計を行った。1951年(昭和26年)、安達建設を退職し、独立してゴルフ場の設計で再出発、「大洗ゴルフ倶楽部」(茨城県)の設計をおこなった。

1908年(明治41年)〜1981年(昭和56年)の生涯に設計したゴルフ場数は、現存するコースでは39コースである。関東以北のゴルフ場が多いが、全国各地で設計を行っている。なお、閉鎖し現存しないコースは「久里浜ゴルフ場」(神奈川県、1935年(昭和10年)開場、戦時中閉鎖)、「アワセメドウズゴルフクラブ」(沖縄県、1948年(昭和23年)開場、閉鎖不詳)、「東雲ゴルフ倶楽部」(東京都、1952年(昭和27年)開場、閉鎖不詳)の3コースである。海外での設計コースは、「フィリピナスゴルフ&カントリークラブ」(フィリピン、1962年開場)と「スパン・ナショナル・ゴルフクラブ」(マレーシア、1968年開場 )の2コースである。

井上誠一設計のゴルフ場で、特に有名なコースは、2021年(令和3年)、東京オリンピックの競技会場「霞ヶ関カンツリー倶楽部」である。また、ロレックスが選んだ「世界のトップ1000コース」に、日本の全コ-スから36カ所選ばれたが、その中の井上誠一が設計したコースは「霞ヶ関カンツリー倶楽部」・「愛知カンツリー倶楽部」・「日光カンツリー倶楽部」・「大洗ゴルフ倶楽部」・「鷹之台カンツリー倶楽部」・「龍ヶ崎カントリー倶楽部」・「茨木カンツリー倶楽部」・「札幌ゴルフ倶楽部・輪厚」の8コースが選ばれた。

主な設計コース

  • 1932年(昭和7年)
    • 「霞ヶ関カンツリー倶楽部・西コース」埼玉県川越市
  • 1936年(昭和11年)
    • 「那須ゴルフ倶楽部」栃木県那須郡
    • 「大みかゴルフクラブ」(旧・日立ゴルフ倶楽部)茨城県日立市大みか町
  • 1952年(昭和27年)
    • 「新山口カンツリー倶楽部」(旧・山口カンツリー倶楽部)山口県防府市
    • 「川崎国際生田緑地ゴルフ場」(旧・川崎国際カントリー倶楽部)神奈川県川崎市
    • 「くまもと阿蘇カントリークラブ・湯の谷コース」(旧・熊本ゴルフ倶楽部・湯の谷コース)熊本県阿蘇郡
  • 1953年(昭和28年)
    • 「大洗ゴルフ倶楽部」茨城県東茨城郡
  • 1954年(昭和29年)
    • 「鷹之台カンツリー倶楽部」千葉県千葉市
    • 「愛知カンツリー倶楽部」(旧・旭カンツリー倶楽部)愛知県名古屋市
  • 1955年(昭和30年)
    • 「日光カンツリー倶楽部」栃木県日光市
    • 「西宮カントリー倶楽部」兵庫県西宮市
  • 1958年(昭和33年)
    • 「龍ヶ崎カントリー倶楽部」茨城県龍ヶ崎市
    • 「札幌ゴルフ倶楽部・輪厚コース」北海道北広島市
  • 1959年(昭和34年)
    • 「武蔵カントリークラブ・豊岡コース」埼玉県入間市
    • 「武蔵カントリークラブ・笹井コース」埼玉県狭山市
    • 「枚方カントリー倶楽部」大阪府枚方市
  • 1960年(昭和35年)
    • 「大利根カントリークラブ」茨城県坂東市
    • 「桑名カントリー倶楽部」三重県桑名市
  • 1961年(昭和36年)
    • 「よみうりゴルフ倶楽部」東京都稲城市
    • 「湘南カントリークラブ」神奈川県茅ヶ崎市
    • 「茨木カンツリー倶楽部・西コース」大阪府茨木市
  • 1962年(昭和37年)
    • 「戸塚カントリー倶楽部・西コース」神奈川県横浜市
  • 1963年(昭和38年)
    • 「赤倉ゴルフコース」新潟県妙高市
  • 1964年(昭和39年)
    • 「東京よみうりカントリークラブ」東京都稲城市
    • 「春日井カントリークラブ」愛知県春日井市
  • 1965年(昭和40年)
    • 「室蘭ゴルフ倶楽部・白鳥コース」北海道室蘭市
    • 「天城高原ゴルフコース」静岡県伊豆市
    • 「伊勢カントリークラブ」三重県度会郡玉城町
  • 1968年(昭和43年)
    • 「いぶすきゴルフクラブ・開聞コース」鹿児島県指宿市
  • 1969年(昭和44年)
    • 「瀬田ゴルフコース・東・北コース」滋賀県大津市
  • 1971年(昭和46年)
    • 「佐賀カントリー倶楽部」佐賀県みやき町
    • 「鶴舞カントリー倶楽部」千葉県市原市
  • 1973年(昭和48年)
    • 「烏山城カントリークラブ」栃木県那須烏山市
  • 1974年(昭和49年)
    • 「札幌ゴルフ倶楽部・由仁コース」北海道夕張郡
  • 1975年(昭和50年)
    • 「南山カントリークラブ」愛知県豊田市
  • 1976年(昭和51年)
    • 「葛城ゴルフ倶楽部」静岡県袋井市
  • 1982年(昭和57年)
    • 「大原・御宿ゴルフコース」千葉県いすみ市
  • 1984年(昭和59年)
    • 「浜野ゴルフクラブ」千葉県市原市
  • 1985年(昭和60年)
    • 「スターツ笠間ゴルフ倶楽部」(旧・笠間東洋ゴルフ倶楽部)

井上誠一の設計図

脚註

  1. ^ 『美しい日本のゴルフコース BEAUTIFUL GOLF CULTURE IN JAPAN 日本のゴルフ110年記念 ゴルフは日本の新しい伝統文化である』、ゴルフダイジェスト社「美しい日本のゴルフコース」編纂委員会編、「井上誠一 用地の持つ特性を引き出し、感性と美意識で戦略性を高めていった」、東京 ゴルフダイジェスト社、2013年12月、2021年2月26日閲覧
  2. ^ 「GOLF COURSE RANKING CLUB」、井上誠一設計コースランキング&コース一覧、2021年2月26日閲覧
  3. ^ 「KCフィリピナス(kc filipinas golf club)」、2021年2月26日閲覧
  4. ^ 「スバン・ゴルフクラブ (Kelab Golf Negara Subang)」、2021年2月27日閲覧
  5. ^ 「世界のトップ1000コース」、知っておきたい日本ゴルフコース設計の第一人者「井上誠一」編、2021年3月20日閲覧
  6. ^ 「名匠・井上誠一と歴史」、受け継がれた井上誠一のスタイル、2021年3月13日閲覧

著書

  • 『現代ゴルフ全集 第5』、「ゴルフ場の設計について 井上誠一」、日本プロゴルフ協会監修、日本ゴルフ協会協賛、東京 中央公論社、1959年、2021年2月26日閲覧
  • 『井上誠一のコースデザイン』、井上誠一著、東京 一季出版、1991年2月、2021年2月26日閲覧
  • 『大地の意匠 新版 井上誠一設計ゴルフコース写真集』、井上誠一作、山田兼道撮影、東京 小学館スクウェア、2003年11月、2021年2月26日閲覧

関連文献

  • 『現代ゴルフ全集 第5』、「ゴルフ場の設計について 井上誠一」、日本プロゴルフ協会監修、日本ゴルフ協会協賛、東京 中央公論社、1959年、2021年2月26日閲覧
  • 『近代ゴルフゴルフ』、「設計者の横顔戦略的コースに理想を託す 井上誠一氏」、東京 自研社、1961年4月、2021年2月26日閲覧
  • 『遥かなるスコットランド 名匠井上誠一伝』、早瀬利之著、東京 広済堂出版、1991年8月、2021年2月26日閲覧
  • 『井上誠一・大地の意匠 the golf course as art 山田兼道写真集』、山田兼道撮影、東京 PIPS、1998年、2021年2月26日閲覧
  • 『ゴルフ新日本紀行 写真家・山田兼道が捉えた 名匠・井上誠一のコースに宿るいにしえの日本の原風景』、山田兼道、日経ベンチャー、東京 日経BP社、2004年3月、2021年2月26日閲覧
  • 『日本のゴルフ100年』、「程ケ谷をつくったロスの代役アリソン招聘の画策川奈に心酔したアリソンアリソンを師とした井上誠一」、久保田誠一著、東京 日本経済新聞社、2004年7月、2021年2月26日閲覧
  • 『いつか、ここで。井上誠一のゴルフコース 日本のゴルフ遺産をまわろう』、山田兼道著、東京 ゴルフダイジェスト社、2008年10月、2021年2月26日閲覧
  • 『Forbes』、「ゴルフスペシャル 伝説の名設計家 井上誠一」、早瀬利之、東京 ぎょうせい、2009年6月、2021年2月26日閲覧
  • 『美しい日本のゴルフコース BEAUTIFUL GOLF CULTURE IN JAPAN 日本のゴルフ110年記念 ゴルフは日本の新しい伝統文化である』、ゴルフダイジェスト社「美しい日本のゴルフコース」編纂委員会編、「井上誠一 用地の持つ特性を引き出し、感性と美意識で戦略性を高めていった」、東京 ゴルフダイジェスト社、2013年12月、2021年2月26日閲覧
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