peoplepill id: satake-yoshifumi
SY
Japan
4 views today
4 views this week
Satake Yoshifumi
Japanese politician

Satake Yoshifumi

The basics

Quick Facts

Intro
Japanese politician
Places
Work field
Gender
Male
Place of birth
Tokyo, Japan
Age
76 years
Education
University of Tokyo
Hongō, Bunkyo, Japan
Positions
governor of Ehime Prefecture
(24 June 1924-16 September 1925)
governor of Kumamoto Prefecture
(16 September 1925-28 September 1926)
governor of Wakayama Prefecture
governor of Tottori Prefecture
governor of Kagawa Prefecture
The details (from wikipedia)

Biography

佐竹義文

佐竹 義文(さたけ よしふみ / よしぶみ、1876年(明治9年)11月4日 - 1952年(昭和27年)12月28日)は、日本の内務・警察官僚、実業家。政友会系官選県知事。

経歴

後の東京市四谷区四谷舟町(現新宿区舟町)出身。佐竹万三の長男として生まれる。第一高等学校を卒業。1903年、東京帝国大学法科大学法律学科(英法)を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。逓信省に入省し管船局属となる。1905年、内務省に転じ神奈川県属に就任した。

1906年、福井県事務官となる。以後、岡山県事務官・第二部長、山梨県事務官・警察部長、鹿児島県事務官・警察部長、奈良県事務官・内務部長、滋賀県内務部長、福岡県内務部長などを歴任。

1917年1月、鳥取県知事に就任。緊縮政策の中で、公有林野の林野調査、砂防造林、原蚕種製造所の充実、実業教育の実施などに尽力。1919年4月、香川県知事に転任。湯屋取締規則の制定、児童生徒の近視予防などを行う。1922年6月、知事を休職となる。内務省嘱託として欧米各国に出張し港湾行政などを視察した。帰国後、1923年6月、和歌山県知事に就任。緊縮予算の中でも教育費に配慮を行った。1924年6月、愛媛県知事に転任。銅山川水利権問題の解決を見たが、銀行合併問題は合併を実現できなかった。1925年9月、熊本県知事に転任。1926年9月28日、知事を依願免本官となり退官した。

その後、実業界に転じ、東邦電力 (株) 取締役、群馬水電取締役、安田保善社参事などを務めた。

著作

  • 『欧米を縦横に』寳文館、1925年。

親族

  • 妻 佐竹リヨウ(野村恒造長女)

脚注

  1. ^ 『和歌山県史 人物』213頁。
  2. ^ 『新編日本の歴代知事』741頁。
  3. ^ 『新編日本の歴代知事』921頁。
  4. ^ 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』184頁。
  5. ^ 『新編日本の歴代知事』762頁。
  6. ^ 『新編日本の歴代知事』897頁。
  7. ^ 『官報』第2963号、大正11年6月19日。
  8. ^ 『新編日本の歴代知事』1043頁。
  9. ^ 『官報』第4230号、大正15年9月29日。
  10. ^ 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年、さ26頁。
The contents of this page are sourced from Wikipedia article. The contents are available under the CC BY-SA 4.0 license.
Lists
Satake Yoshifumi is in following lists
comments so far.
Comments
From our partners
Sponsored
Credits
References and sources
Satake Yoshifumi
arrow-left arrow-right instagram whatsapp myspace quora soundcloud spotify tumblr vk website youtube pandora tunein iheart itunes