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Japanese politician
Sakamoto Sannosuke
The basics
Quick Facts
Intro
Japanese politician
Places
was
Work field
Gender
Male
Place of birth
Nagoya, Aichi Prefecture, Japan
Star sign
Age
79 years
Awards
Order of the Sacred Treasure, 4th class
The details (from wikipedia)
Biography
阪本 釤之助(さかもと さんのすけ、1857年8月13日(安政4年6月24日)- 1936年(昭和11年)12月16日)は、日本の官僚、政治家、詩人。俳号・三橋、雅号・蘋園(ひんえん)。
経歴
尾張国愛知郡鳴尾村(現在の名古屋市南区)に、永井匡威の三男として生まれる。帯刀を許された豪農永井家は尾張藩に仕え、儒学・俳諧・茶道に通じる子孫が多かったという。父は鳴尾永井家の11代目・匡威(まさたけ)。桓武平氏良兼流長田氏の庶家である永井氏の傍系で、親致を祖とする「鳴尾永井氏」の後裔である。久一郎の詩集『来青閣集』によれば、鳴尾の永井氏は、永井直勝の庶子・正直に始まっている。1882年(明治15年)4月、元老院議官阪本政均の婿養子となり、内務官僚等を経て、1902(明治35)年から福井県知事、1907(明治40)年から鹿児島県知事を歴任。1911(明治44)年7月4日から1917(大正6)年まで、名古屋市長を務めた。
また1911年8月24日から1934年4月6日まで貴族院勅選議員を務めた(同和会所属)。名古屋市長退職後、日本赤十字社副社長、維新史編纂会副総裁を歴任。1934年、枢密顧問官。1920年から尾張徳川家の御相談人となった。
詩書を得意とし、名古屋市長時代は「蘋園市長」と呼ばれて親しまれた。
几帳面な性格で、貴族院議員時代、法案を書いた紙を必ず議席に持っていき、その要点を書き抜いた上で、賛成反対の態度を決めていた。
栄典
- 位階
- 1891年(明治24年)3月3日 - 従六位
- 1896年(明治29年)6月30日 - 正六位
- 1901年(明治34年)4月20日 - 従五位
- 1903年(明治36年)3月16日 - 正五位
- 1908年(明治41年)4月10日 - 従四位
- 1911年(明治44年)9月11日 - 正四位
- 1936年(昭和11年)
- 4月15日 - 従三位
- 12月16日 - 正三位
- 勲章
- 1897年(明治30年)12月28日 - 勲六等瑞宝章
- 1901年(明治34年)12月27日 - 勲五等瑞宝章
- 1903年(明治36年)12月26日 - 勲四等瑞宝章
- 1906年(明治39年)4月1日 - 勲三等旭日中綬章・明治三十七八年従軍記章
- 1912年(大正元年)8月1日 - 韓国併合記念章
- 1915年(大正4年)11月1日 - 大礼記念章(大正)
- 1916年(大正5年)4月1日 - 勲二等瑞宝章
- 1917年(大正6年)1月23日 - 木杯一組
- 1920年(大正9年)
- 10月14日 - 銀杯一組
- 11月1日 - 金杯一個
- 1921年(大正10年)7月1日 - 第一回国勢調査記念章
- 1928年(昭和3年)
- 11月1日 - 金杯一個
- 11月10日 - 大礼記念章(昭和)
家族・親族
- 外交官の阪本瑞男および詩人・ドイツ文学者の阪本越郎は正妻との間の子。
- 作家、詩人の高見順は庶子。
- タレントの高見恭子は孫(高見順の庶子)。
- 政治家の古井喜実は女婿。
- 童謡歌手の小鳩くるみも阪本の親族である。
- 漢詩人・官僚の永井久一郎は実兄。
- 作家の永井荷風は甥。
- 政治家の大島久満次は実弟。
- 狂言師野村萬斎は曾孫
系譜
- 永井氏 … 詳細は永井久一郎を参照のこと。
鷲津蓉裳 | (氏名不明) | (氏名不明) | 鷲津名都江 (小鳩くるみ) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
鷲津毅堂 | 恒 | 永井壮吉 (永井荷風) | 永井永光 | 永井壮一郎 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
鷲津貞二郎 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
永井久一郎 | 永井威三郎 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
永井匡威 | 永井松右衛門 | 永井松三 | 永井邦夫 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
西竹一 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
西泰徳 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
武子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
柳原義光 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
川村鉄太郎 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
花子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
艶子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
阪本瑞男 | 野村万作 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
野村萬斎 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
阪本釤之助 | 阪本越郎 | 阪本若葉子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
坂本鹿名夫 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
永井佐々吉 | 古井喜実 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ふく | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
馳浩 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
小野田房子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
高見恭子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
高見順 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
由紀子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
秋子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大島成友 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大島久満次 | 大島一雄 (杵屋五叟) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
永井永光 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
永井銉次 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
永井頑頡 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
脚注
- ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』126頁。
- ^ 香山 2016, p. 122.
- ^ 永井家は帯刀を許された豪農であった(永井 2000, p. 219)
- ^ 『人事興信録 第4版』さ58頁。
- ^ 『日本近現代人物履歴事典』239頁。
- ^ 香山 (2016, p. 122)。同書では1909(明治42)年鹿児島県知事、1910(明治43)年熊本県知事、としている。
- ^ 『官報』第8454号、明治44年8月25日。
- ^ 『官報』第2177号、昭和9年4月7日。
- ^ 1936年まで在任。
- ^ 若槻禮次郎『明治・大正・昭和政界秘史』講談社学術文庫、1983年、239頁。
- ^ 「阪本釤之助叙勲ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A10113099800
- ^ 『官報』第2302号「叙任及辞令」1891年3月6日。
- ^ 『官報』第3901号「叙任及辞令」1896年7月1日。
- ^ 『官報』第5337号「叙任及辞令」1901年4月22日。
- ^ 『官報』第5908号「叙任及辞令」1903年3月17日。
- ^ 『官報』第7434号「叙任及辞令」1908年4月11日。
- ^ 『官報』第8469号「叙任及辞令」1911年9月12日。
- ^ 『官報』第2786号「叙任及辞令」1936年04月18日。
- ^ 『官報』第2991号「叙任及辞令」1936年12月19日。
- ^ 『官報』第4350号「叙任及辞令」1898年1月4日。
- ^ 『官報』第6148号「叙任及辞令」1903年12月28日。
- ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1907年3月31日。
- ^ 『官報』第7606号・付録「辞令」1908年10月31日。
- ^ 『官報』第1218号「叙任及辞令」1916年8月21日。
- ^ 小谷野 2007, pp. 86–87.
- ^ 小谷野 2007, pp. 86–88.
- ^ 小谷野 2007, pp. 85–88.
- ^ 小谷野 2007, pp. 85, 87.
- ^ 小谷野 2007, p. 87.
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