Sadatake Ise
Quick Facts
Biography
伊勢 貞丈(いせ さだたけ、享保2年12月28日(1718年1月29日) - 天明4年5月28日(1784年7月15日))は、江戸時代中期の旗本(幕臣)・伊勢流有職故実研究家。江戸幕府寄合・御小姓組蕃士。旗本・伊勢貞益の次男、兄は貞陳。子に娘(伊勢貞敦室)。幼名は万助、通称は兵庫、平蔵。安斎と号した。音読みでテイジョウと呼ばれることもある。
生涯
伊勢氏は元々室町幕府政所執事の家柄であり礼法に精通し、江戸幕府3代将軍徳川家光の時に貞丈の曾祖父伊勢貞衡(さだひら)が召し出された。享保11年(1726年)、兄貞陳が13歳で夭折して伊勢氏は一旦断絶したが、弟である貞丈が10歳で再興、300石を賜り寄合に加えられた。この時、12歳と年齢を詐称している。延享2年(1745年)9月13日に28歳で御小姓組に番入り、儀式の周旋、将軍出行の随行などにあたった。貞丈は特に中世以来の武家を中心とした制度・礼式・調度・器具・服飾などに詳しく武家故実の第一人者とされ、伊勢流中興の祖となった。
天明4年(1784年)3月致仕し麻布に隠居したが、5月28日に死去、享年67。但し、幕府には卒日は6月1日と届けだされ、『寛政重修諸家譜』には6月5日と記載されている。法名は「長誉」、西久保大養寺(現:東京都世田谷区大吉寺)に葬る。家督は婿養子貞敦(旗本竹中定矩の3男)が病気を理由に辞退したため、貞敦の子の伊勢貞春が継承した。大吉寺に書像が残る。
著述活動
有職故実に関する著書を数多く残し、『平義器談』『四季草』『貞丈雑記(子孫への古書案内、故実研究の参考書として、宝暦13年から亡くなるまでの 22年間にわたり、武家の有職に関する事項を36部門に分けて記したもの)』『貞丈家訓』『安斎随筆(公家・武家の有職故実や事物の起源、字訓の正誤などを広く随録したもの)』『安斎雑考』『安斎小説』『刀剣問答』『軍用記』『犬追物類鏡』『座右書』『武器考証』『鎧着用次第』『包結図説』『条々聞書貞丈抄』『神道独語』などがある。
森鴎外は、貸本屋であまたの随筆類を読み尽くしたのち、伊勢貞丈の故実の書等に及ぶようになれば貸本文学も卒業となる、と記している。
出典・参考文献
- 額田巌『結び目の謎』中央公論新社〈中公新書〉、1980年。伊勢貞丈と『包結図説』についての記述あり。
- 竹内誠; 深井雅海編 『日本近世人名辞典』 吉川弘文館、2005年。
脚注
関連項目
- 折形
- さかやき
- 先代旧事本紀
- 非理法権天
- 小烏丸