Ri Seong-sil
Quick Facts
Biography
李善実(リ・ソンシル、리선실、1916年 - 2000年8月)は、序列22位まで上り詰めた北朝鮮最高位の女諜報員であるが、深化組事件で拷問死した。朝鮮労働党統一戦線部副部長、党政治局候補委員、最高人民会議代議員。死後に名誉回復され、共和国英雄。
日本に渡って在日朝鮮人に偽装し、韓国に合法的に潜入するという手法を確立した。この手法は、対南工作や日本人拉致事件等で多用されている。申順女、李仙花という偽名も使用している。
出自
済州島南部の村の出身。梨花女子専門学校卒業後、南朝鮮労働党(南労党)出身者が運営する金剛政治学園を修了した。解放前に独立運動を行い、その後、釜山で南労党の金三龍の下で女性運動を展開し、発覚するや単身越北した。朝鮮戦争当時、太白山でパルチザン生活を送り、朝鮮人民軍がソウルに進駐したとき、引き続き活動を再開した。
対南工作
戦後、正確な時期は分からないが、朝鮮労働党に工作員として召還された。1970年初め頃、日本に渡り、在日朝鮮人申順女の偽名で、工作活動を行った。
1979年、朝鮮労働党統一戦線部副部長に任命され、1980年、第6次党大会で政治局候補委員、中央委員に選出された。1980年初め、申順女の偽名で合法的に韓国に永住帰国した。同年、サボク炭坑騒擾事件の主導者であった黄仁五と接触し、黄と共に越北した。黄には、朝鮮労働党中部地域党創設の工作任務が付与された。
1982年2月、最高人民会議第7期代議員に当選して以来、10期まで継続して選出された。同年4月、金日成の70歳の誕生日に合わせて、金日成勲章を授与された。1991年1月、韓国民族民主戦線副委員長に任命されて以来、対南秘密工作部門の主要責任者であった。
帰国と拷問死
1992年、江華島を経由して北朝鮮に帰国。同年4月、金日成の80歳の誕生日の宴会に党政治局候補委員の資格で出席した。同年9月の「南韓朝鮮労働党事件」時、地下党組織の責任者だったという。1994年、金日成死亡時、国家葬儀委員会委員であった。1995年、呉振宇の国家葬儀委員会委員。深化組事件で拷問死した後、復権された。
パーソナル
- 金日成勲章、国旗1級勲章。共和国英雄。