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Nobuhiro Satō
The basics
Quick Facts
Gender
Male
Age
84 years
Family
Father:
Genemon Satō
Children:
Nobuhiko Satō
The details (from wikipedia)
Biography
佐藤 信寛(さとう のぶひろ、文化12年12月27日(1816年1月25日) - 明治33年(1900年)2月15日)は、江戸時代後期の長州藩士。幼名は三郎、のち通称を寛作、諱を信寛と名乗る。号は蝦洲。正五位。佐藤家第10代当主。
子孫に首相を務めた岸信介・佐藤栄作兄弟(曾孫)、および安倍晋三がいる。
生涯
現在の山口県熊毛郡田布施町に長州藩士・佐藤源右衛門(佐藤家第9代当主)の長子として生まれる。源右衛門の弟には坪井九右衛門がいる。
藩校明倫館に入り山県太華に学び、江戸にて清水赤城につき長沼流兵学を修め、吉田松陰に兵要禄を授けた。
明治の初め浜田県権知事、島根県令等を務めた。
明治11年(1878年)頃に官を退き、熊毛郡麻郷村戎ヶ下(現・田布施町)に居を定め、多くの詩編、手記を残し、余生を風月と共に送った。
満84歳で死去、田布施のひろみが丘に葬られた。
人物像
1876年11月、信寛は県令として萩の乱の首謀者前原一誠らを逮捕している。
曾孫にあたる栄作は自伝『今日は明日の前日』の冒頭に
と書いている。
長男の信彦との仲は必ずしも円満ではなく、鼓家を継いだ次男の包武を最も可愛がって、すべての資産や記念品類をこの次男に与えた。ところが鼓家の人々は田布施・佐藤家にさほど興味もなかったので、その記念品類は次々に売り払われてしまったという。
官職を退任後、戎ヶ下の別荘に起居し、蝦洲と号した。別荘には有栖川宮熾仁親王や伊藤博文らが立ち寄ったという。
家族・親族・家系
詳細は「佐藤栄作」を参照
- 長男・信彦
- 二男・包武(鼓家を継ぐ:陸軍少将)
- 三男・太郎(井上家を継ぐ:陸軍少佐)
- 孫・佐藤松介(医師)、佐藤寛造(医師)、池上作三(医師)、茂世、さわなど
- 曾孫・佐藤市郎(海軍軍人)、岸信介(官僚、政治家・首相)、佐藤栄作(同)、佐藤寛子(栄作の妻)
- 玄孫・安倍洋子(岸信介の長女 安倍晋太郎に嫁する)、佐藤信二(政治家)
- 来孫・安倍寛信(三菱商事パッケージング社長)、安倍晋三(政治家、首相)、岸信夫(政治家)
- 昆孫・安倍寛人(寛信の子)
脚注
参考文献
- 吉本重義 『岸信介傳』 東洋書館 1957年 20-24頁
- 神一行 『閨閥 ―特権階級の盛衰の系譜―』角川書店 2002年 63、66-67頁
関連人物
- 伊藤博文
- 井上馨
- 吉田松陰
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