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Japan
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Narito Namizato
Japanese basketball player

Narito Namizato

The basics

Quick Facts

Intro
Japanese basketball player
Places
Work field
Gender
Male
Place of birth
Okinawa Prefecture, Japan
Age
35 years
The details (from wikipedia)

Biography

並里 成なみざと なりと、1989年8月7日 - )は、日本のプロバスケットボール選手である。身長172cm、体重72kgで、ポジションはポイントガード。Bリーグ・B1の滋賀レイクスターズに所属する。

スラムダンク奨学金の第1期生としてアメリカに留学、2009年に帰国しリンク栃木ブレックスと契約、プロ選手となる。JBL 2009-10シーズンは栃木で、bjリーグ 2011-12とbjリーグ 2013-14の2シーズンは琉球ゴールデンキングスで優勝メンバーとなった。

来歴

沖縄県出身。バスケットボール選手の並里祐は実兄である。コザ中学校から福岡第一高校に進学。

1年時からポイントガードとしてスタメンに選出。ウィンターカップでは強豪の福大大濠高校を下して出場し優勝。1年ながらベスト5に選出され、その類稀な運動能力と度胸溢れるゲームコントロール力が話題となり一気に全国区の注目選手となる。

2年ではその福大大濠に敗れてウィンターカップ出場は逃すもののU-18日本代表に選ばれる。3年ではインターハイ、ウィンターカップいずれにも出場。ウィンターカップでは洛南高校に敗れ準優勝となるものの2度目のベスト5。インターハイでもベスト4まで進んだ。

本人は福岡第一高に進学した理由を「夢はNBA。その為に1年生の時から試合に出て経験を積めて、セネガル人留学生とコミュニケーションがとれる福岡第一に入学した」と語っており、月刊バスケットボールではプレイスタイル等から並里を「ファンタジスタ」と評した。

高校卒業後はスラムダンク奨学金の第1期生に選ばれ、アメリカのプレップスクールであるサウスケントスクールに留学する。スクールのチームメイトにはアイザイア・トーマスがいた。大学進学を目指した並里は、選手としては一定の評価を受けたが、学業面、特に英語能力が進学に必要なレベルに達しなかったため、進学を断念し、帰国。2009年7月、リンク栃木ブレックスと選手契約を結び、プロ選手となった。JBLでの高卒ルーキーは川村卓也に次いで2人目であり、平成生まれの選手もJBLでは初めてであった。

JBL 2009-10シーズンに栃木はJBL初優勝を果たすが、並里は出場試合数18、出場時間は1試合平均4.9分と、限られた出場機会しか得られなかった。

翌、JBL 2010-11シーズンも満足な出場機会を得られなかったため、並里は栃木との契約を更新せず、NBAに挑戦する。しかし当時、NBAはロックアウトが行われており、選手契約につなげるためのプレシーズンゲームさえ行われない状態だった。並里はbjリーグでのプレイを希望したものの、bjリーグのチームと契約するためにはリーグ主催のトライアウトに参加する必要があり、bjリーグ 2011-12シーズンのトライアウトは既に終了していた。bjリーグのコミッショナー河内敏光は特例として並里のリーグ加入を認め、2011-12シーズンは入札によって所属を決定し、翌2012-13シーズンはドラフト会議で交渉権を決定することになった。結果、並里は保有権を落札した琉球ゴールデンキングスと契約する。

2011-12シーズン開幕直前の9月に開催されたアジアバスケットボールリーグ・マルコポーロカップチャンピオンシップでベストファイブに選ばれた並里は、レギュラーシーズン52試合に全てに出場し、1試合平均で11.0得点を挙げた。ファイナルでは浜松・東三河フェニックスを相手に15得点、5アシストを挙げ、勝利に貢献。JBLとbjリーグの両方のリーグで優勝を経験することとなった。また2012年1月に行われたbjリーグオールスターゲームには、ファン投票ガード部門2位で選出された。

シーズン終了後に行われたドラフト会議では、琉球が1巡目で指名した。2012年9月17日、NBA挑戦と平行して選手活動を続ける条件で、沖縄と契約する。

2012-13シーズン、2012年11月17日の大分ヒートデビルズでは試合終了直前まで同点であった中、並里が残り1秒でスリーポイントを決め勝利。並里は12月19日の浜松・東三河フェニックス戦でも、試合終了間際に決勝点となるスリーポイントを成功させた。このシーズン、並里は50試合に出場し、キャリア最高となる1試合平均11.5得点、6.2アシストを記録し、ベストファイブに選出された。また、このシーズンもファン投票によってオールスターゲームに選出された。チームはレギュラーシーズンを、開幕15連勝を含む42勝10敗で終え、リーグ歴代最高勝率を達成したものの、プレイオフでシーズン5位の京都ハンナリーズに敗れ、ファイナルズ進出さえ果たせなかった。

シーズン終了後、並里は契約を更新せず、再びNBAに挑戦するため、アメリカへ渡った。アメリカではNBA選手やアマチュア選手が参加するドリューリーグに参加し、NBAデベロップメント・リーグドラフト候補に名前があがったものの、指名されなかった。

2014年2月、琉球ゴールデンキングスと再び契約。bjリーグ 2013-14シーズンの大半を消化した状況での加入だったが、並里は16試合に出場し1試合平均5.0得点、2.9のアシストを記録した。チームはこの年2年ぶりにリーグ優勝を果たした。

bjリーグ 2014-15シーズン、並里は52試合に出場し、7.8得点、3.0アシストを挙げる。シーズン終了後、並里は琉球との契約を更新せず、かつて琉球を率いた桶谷大がヘッドコーチを務める大阪エヴェッサへ移籍した。

bjリーグ 2015-16シーズン、並里はレギュラーシーズン全52試合に出場し、平均8.0得点、4.3アシストを記録する。チームはレギュラーシーズンを6位で終えプレーオフに進出、ファーストラウンドでは3位の島根スサノオマジックを下すも、地区準決勝で古巣・琉球に敗れ、ファイナルズ進出を逃した。シーズン終了後、並里は大阪との契約を更新せず、NBA挑戦のため渡米する。

アメリカではBリーグの事業の一環として畠山俊樹、高山師門と共にNBAデベロップメント・リーグのトライアウトを受験した。その後もアメリカでトレーニングを続け、Dリーグ入りのドラフト指名候補になったものの、指名するチームは無かった。並里は日本に戻り、11月11日に滋賀レイクスターズと選手契約を結んだ。滋賀でヘッドコーチを務める遠山向人は、並里が琉球に所属していた2012-13シーズンに、琉球のヘッドコーチを務めていた。

個人成績

略称説明
  GP出場試合数  GS 先発出場試合数 MPG 平均出場時間
 FG% フィールドゴール成功率 3P% スリーポイント成功率 FT% フリースロー成功率
 RPG 平均リバウンド数 APG 平均アシスト数 SPG 平均スティール数
 BPG 平均ブロック数  TO 平均ターンオーバー数 PPG 平均得点
 太字 キャリアハイ  リーグリーダー  優勝シーズン
シーズンチームGPGSMPGFG%3P%FT%RPGAPGSPGBPGTOPPG
2009-10栃木1804.943.30.066.70.70.70.10.00.92.3
2010-11栃木1007.430.814.344.40.81.00.10.00.72.1
2011-12沖縄524027.241.730.464.24.14.21.20.12.211.0
2012-13沖縄504929.037.826.772.34.86.21.50.12.211.5
2013-14沖縄16020.229.728.670.02.42.91.00.11.95.0
2014-15沖縄52321.738.433.374.13.13.00.80.11.37.8
2015-16大阪522524.639.525.670.93.24.31.30.11.78.0
2016-17滋賀

|}

脚注

外部リンク

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