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Japanese politician
Nakamura Hikoji
The basics
Quick Facts
Intro
Japanese politician
Places
was
Work field
Gender
Male
Birth
Place of birth
Fukuoka Prefecture, Japan
Age
71 years
Positions
member of the House of Representatives of Japan
governor of Shimane Prefecture
The details (from wikipedia)
Biography
中村 彦次(なかむら ひこじ、1840年(天保11年1月)- 1911年(明治44年)11月18日)は、明治期の教育者、政治家。衆議院議員、官選島根県知事。名・庸、字・和叔、号・桐蔭、旧姓・鶴田。
経歴
筑後国上妻郡前津村(現筑後市前津)で、庄屋・鶴田良右衛門の二男として生まれ、後に中村氏を称した。地元の私塾・継志堂で学ぶ。安政4年(1857年)に師・牛島栗斎に随行し8カ月間にわたり山陽から奥羽まで遊歴し見聞を広めた。その後、咸宜園で学んだ。
王政復古後、国事に奔走するなかで、久留米藩に逃れてきた大楽源太郎に同調したため、久留米藩難事件に連座し明治4年(1871年)に禁獄一年の刑を受け名古屋の監獄に収監された。
出獄後に帰郷。1875年4月から1877年12月まで羽犬塚小学校長を務めた。また、有志とともに山内村(現八女市山内)に変則中学中洲校を創立した。1878年10月、郡書記に就任。1887年12月、上妻・下妻郡長となり、1889年2月、生葉・竹野郡長に転じた。
1890年7月、第1回衆議院議員総選挙に福岡県第5区から出馬するも落選。1892年2月の第2回総選挙で当選し、生葉・竹野郡長を依願退職。その後、1894年9月、第4回総選挙でも当選し、衆議院議員を二期務めた。1897年4月7日、島根県知事に就任。簸川尋常中学校を設立。1898年4月2日、知事を非職となり、同年12月14日、依願免本官となり退官した。
栄典
- 1897年(明治30年)5月31日 - 正五位
親族
- 長男 中村雄蔵(衆議院議員)
- 次男 中村秀次郎(北京・筑紫洋行(筑紫弁館)留守居役。義和団の乱北京籠城戦義勇兵、1900年(明治33年)6月25日戦死)
- 孫 増永元也(衆議院議員、玄洋社社員)
脚注
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