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The basics

Quick Facts

A.K.A.
Раисё Накадзима
Work field
Birth
Death
Age
75 years
The details (from wikipedia)

Biography

中島 来章(なかじま らいしょう、寛政8年(1796年) - 明治4年(1871年))は、幕末から明治時代にかけて活躍した円山派の絵師。姓は源、字は子慶、別号に䳉江、春分斎・神通堂等。横山清暉、岸連山、塩川文麟らと共に平安四名家と呼ばれるほど名声を得た。

略伝

近江国甲賀郡柞原あるいは大津出身。初め画を渡辺南岳に学び、後に円山応瑞に従って一家を成した。安政度の御所造営に伴う障壁画制作にも参加している。花鳥画、特に鯉と鶉を得意とし、円山派の伝統を守った作品が多いが、より洒脱な感覚を持つ。『平安人物志』では文化10年(1813年)版から文政13年(1830年)版まで並河源章の子・並河宇次郎として登場するが、天保9年(1838年)から姓が中島に変わっており、この間に養子に入るなどの変化があったと考えられる。『平安画家評判記(御造営御絵、東山春秋展観之世評役者見立)』では、「此先生はいつもお出来の変わらぬ優しき御綺麗は御老年に似合わぬ感心感心」と評している。明治4年(1871年)76歳で没する。墓所は下京区の光縁寺。

門人に息子の中島有章のほか、幸野楳嶺、川端玉章、藤井松林、加納夏雄らがいる。

作品

作品名技法形状・員数寸法(縦x横cm)所有者年代落款・印章備考
三国志武将図屏風紙本金地着色六曲一双敦賀市立博物館1822年(文政5年)落款・左隻「文政壬午仲夏於/䳉江中写来章」右隻「䳉江嶌来章」/「来章之印」白文方印・「子慶」朱文方印来章27歳時の大作。右隻には堂々と馬に乗る関羽、左隻は劉備が的盧を駆って檀渓の急流を乗り越える場面で、静と動を対比的に描いている。
游鯉図絹本著色1幅128.2x55.0東京国立博物館
四季耕作図屏風紙本淡彩六曲一双京都国立博物館落款「来章」/「来章之印」白文方形・「子*」朱文方形
武陵桃源図紙本著色六曲一双154.5x356.8滋賀県立近代美術館
十二ヵ月図絹本著色六曲一双押絵貼131.5x約50(各)滋賀県立近代美術館
大原女・鶏図紙本淡彩・絹本著色衝立1基大阪市立美術館
雀図紙本著色六曲一双166x369(各)心遠館款記「先師南岳先生真筆 䳉江烏山来章謹鑒識」渡辺南岳筆「武具図屏風」の裏面

脚注

参考文献

  • 京都市美術館監修 『京都画壇 江戸末・明治の画人たち』 アート社出版、1977年10月1日、p.258
  • 京都国立博物館 宮内庁京都事務所 京都新聞社編集 『新春特別展覧会 京都御所障壁画 ─御常御殿と御学問所─』 京都新聞社、2007年1月
The contents of this page are sourced from Wikipedia article. The contents are available under the CC BY-SA 4.0 license.
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