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Japanese politician
Matsumoto Kanae
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Intro
Japanese politician
Places
was
Work field
Gender
Male
Birth
Age
68 years
Awards
Order of the Rising Sun, 5th class
The details (from wikipedia)
Biography
松本 鼎(まつもと かなえ、1839年5月27日(天保10年4月15日) - 1907年(明治40年)10月20日)は、幕末の長州藩士、明治期の内務官僚・政治家。和歌山県知事、衆議院議員、貴族院議員、元老院議官、男爵。通称・鼎造。
経歴
周防国出身。生家は農家で仏門に入る。松下村塾に入り吉田松陰に学んだ。還俗し長州藩士となり、禁門の変に従軍し、敗戦後、御楯隊に加わった。第二次長州征伐、戊辰戦争に従軍。明治元年12月(1869年1 - 2月)、箱館府監事に就任。
明治4年2月28日(1871年4月17日)、大阪府大属となり、権典事、典事、権参事、小書記官、大書記官と昇進した。1878年8月、熊本県大書記官に転じ、さらに和歌山県大書記官を務めた。
1883年10月、和歌山県令に登用され、1886年7月、地方官官制改正に伴い同県知事となり、産業・教育の振興、災害復旧事業に尽力。1889年12月26日に知事を非職となる。
1890年6月12日、元老院議官に就任し、同年10月20日、元老院が廃止され非職となる。同年7月、第1回衆議院議員総選挙に和歌山県第三区から出馬して当選。衆議院議員を一期務めた。1892年5月3日、貴族院勅選議員に任じられ死去するまで在任。死去に当り、その功により男爵を叙爵した。
栄典
- 位階
- 1883年(明治16年)12月8日 - 従五位
- 1890年(明治23年)6月19日 – 従四位
- 1894年(明治27年)5月21日 - 正四位
- 勲章等
- 1888年(明治21年)5月29日 - 勲五等双光旭日章
- 1889年(明治22年)11月29日 - 大日本帝国憲法発布記念章
親族
- 長男 松本春造(男爵)
- 孫 松本鼎一(貴族院男爵議員、春造長男)
脚注
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