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[松平勝善] daimyo of Iyo-Matsuyama
Matsudaira Katsuyoshi
The basics
Quick Facts
Intro
[松平勝善] daimyo of Iyo-Matsuyama
Places
was
Work field
Gender
Male
Star sign
Age
39 years
Family
The details (from wikipedia)
Biography
松平 勝善(まつだいら かつよし)は、江戸時代後期の大名。伊予国松山藩12代藩主。定勝系久松松平家宗家13代。
生涯
薩摩藩主・島津斉宣の十一男として誕生。母は側室の百十(真如院殿)。天保3年(1832年)、松平定通の養嗣子となる。天保6年(1835年)、養父の卒去により松山藩15万石を継承する。間もなく隠岐守に転じ溜間詰に任ぜられる。天保8年(1837年)、大塩平八郎の乱に出兵。同年、12代将軍・徳川家慶の名代として御使に任ぜられ上洛するも、仁孝天皇不予のため拝謁は賜らなかった。天皇の思し召しにより、江戸へ帰館後、左近衛権少将に昇任。
勝善もまた子宝に恵まれなかった。田安徳川家当主・徳川斉匡の子・錦之丞を養子とすることが内定しており、天保8年(1837年)11月25日には正式決定していた。しかし翌天保9年(1838年)に越前福井藩主・松平斉善が突然死去した際、将軍・徳川家慶の意向により錦之丞はそちらの跡取りとされ、勝善との養子縁組話は解消された。この錦之丞がのちの幕末の名君として知られる松平春嶽である。このため勝善は弘化4年(1847年)に先代・定通の娘・令姫を養女とし、讃岐国高松藩主・松平頼恕の六男・増之助(のち勝成)を婿養子とした。
嘉永5年(1852年)、養曾祖父・定国の代に落雷で焼失した松山城本壇が復興され、翌々年には落成式典が盛大に催された。安政3年(1856年)8月11日(8月10日とも言われている)、江戸松山藩邸にて卒去。享年40。
血筋
島津家からの養子ではあるが、島津綱貴(斉宣から5世代前の先祖)の生母の真修院が松平定頼(久松松平家3代)の娘というつながりがある。
系譜
- 父:島津斉宣
- 母:百十 - 真如院殿、島津樵風養女
- 養父:松平定通
- 養母:貞寿院殿 - 徳川斉匡四女
- 正室:鏈 - 酒井忠器娘
- 継室:猶 - 酒井忠器娘
- 生母不明の子女
- 女子:邦(?-1904) - 貞恭院殿、松平勝成養女、松平定昭正室
- 養子
- 男子:松平勝成(1832-1912) - 松平頼恕の三男
- 女子:令姫(?-1854) - 清亮院殿、松平勝成正室、松平定通娘
久松松平氏伊予松山藩12代藩主 (1835年 - 1856年) | |
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久松松平氏伊予松山藩12代藩主 (1835年 - 1856年) | |
加藤家 |
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蒲生家 |
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久松松平家 |
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加藤家 |
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久松松平家 |
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