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Japanese educator and calligrapher
Kusuo Nishikawa
The basics
Quick Facts
Intro
Japanese educator and calligrapher
Places
Work field
Gender
Male
Birth
Death
Age
100 years
The details (from wikipedia)
Biography
西川 久壽男 (にしかわ くすお、1908年 - 2008年)は、長野県の教育者、書家。雅号は秋象(しゅうしょう)。
来歴・人物
長野県生まれ。生家の西川豊後守藤原社家は「家学(かがく)」として、代々有職故実、太鼓・鼓・笛・和歌・書などに嗜んできた。
三重県伊勢市の旧制神宮皇學館附属中学(現皇學館中学校・高等学校)在学中から、書を尾上柴舟(書家・歌人、女子学習院《現学習院女子大学》教授)に師事し、18歳で院展入選、書家活動を開始。官立神宮皇学館大学歴史科卒業後、同政教学部卒業。
その間、尾上柴舟の紹介で京都大学・吉澤義則教授の研究室(国文学)に足繁く通い、教えを受ける。北京大学、台北大学などの講師を務める。
終戦後は、父(西川壽美恵)の隠居所である安曇野市三郷明盛の三柱神社に戻り、GHQ指令による長野県内の神社地調査・文化財調査などを担当し、神社庁設立に尽力し初代事務局を務めた。
長野県松本県ヶ丘高等学校教諭を17年務め、長野県木曽東高等学校(現長野県木曽青峰高等学校)分校長として赴任。定時制・通信制教育の充実などに務めた。その後、木曽東高校教頭、松本筑摩高校、白馬高校などを務めている。教え子には汲田克夫(大阪教育大学名誉教授、大阪工業大学教授)、玉村和彦(同志社大学名誉教授)などがいる。
主な書作品
- 「木曽福島関所跡」碑
- 太田水穂歌碑、中山晋平「一番星みつけた」歌碑
- 「早春賦」歌碑解説碑
- 松本筑摩高校校歌碑
- 松本県ヶ丘高校校訓碑
- 宗徳寺梵鐘
- 「城崎百人一首」板碑
- 穂高神社奥社(上高地)社号標
など
著書
- 『道祖の神と石神様たち』(穂高神社)
- 『穂高町の石造文化財』(共著)
- 『日本の文字いろは』(日本文化フォーラム)
- 『小倉百人一首への誘い』(「京都 西川家」総合文化研究所)
参考文献・脚注
- ^ 西川秋象 - 日本文化フォーラム
- ^ 三柱神社 『神様のカルテ』ロケ地ともなった。
- ^ 第100回 日本文化フォーラム
- ^ 県ヶ丘高校初代校長校訓碑
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