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Japanese military personnel
Kuroda Hisataka
The basics
Quick Facts
Intro
Japanese military personnel
Places
Work field
Gender
Male
Birth
Age
54 years
Awards
Order of the Sacred Treasure, 2nd Class
The details (from wikipedia)
Biography
黒田 久孝(くろだ ひさたか、1845年12月29日(弘化2年12月1日) - 1900年(明治33年)12月4日)は、幕末の幕臣。明治期の陸軍軍人、華族。最終階級は陸軍中将。男爵。旧名は久馬介、久馬。
経歴
本籍静岡県。江戸で幕臣・黒田甚左衛門の息子として生まれる。嘉永6年(1853年)家督を相続。小十人組、大番格砲兵差図役を務めた。慶応3年(1867年)横浜でフランス式の伝習を受けて、慶応4年(1868年)の鳥羽・伏見の戦いで砲兵差図役頭取として参戦した。
沼津兵学校で三等教授方、二等教授方を勤める。同校の兵部省移管に伴い明治政府に出仕した。
1879年(明治12年)3月、陸軍士官学校次長兼学科提理となる。1881年(明治14年)10月、東京砲兵工廠提理兼砲兵第1方面提理へ異動し、翌年2月、砲兵大佐に昇進した。
1886年(明治19年)3月、参謀本部海防局長を兼ね、さらに同年10月、臨時砲台建築部事務官を兼務した。1889年(明治22年)12月、砲兵会議議長に就任。1890年(明治23年)9月、陸軍少将に進級し、翌月、野戦砲兵監となった。1894年(明治27年)9月、第1軍砲兵部長に発令され日清戦争に出征した。
1895年(明治28年)4月、東京湾要塞司令官に就任し、同年8月20日、日清戦争の功績により男爵を叙爵し華族となった。1896年(明治29年)5月、東京防禦総督部参謀長に就任し、1897年(明治30年)4月、陸軍中将に進み東京湾要塞司令官に再任された。同年10月、東宮武官長に就任し、在職中に死去した。墓所は青山霊園。
栄典
- 位階
- 1890年(明治23年)10月8日 - 従四位
- 勲章等
- 1885年(明治18年)11月19日 - 勲三等旭日中綬章
- 1889年(明治22年)11月29日 - 大日本帝国憲法発布記念章
- 1895年(明治28年)
- 5月23日 - 勲二等瑞宝章
- 8月20日 - 男爵・功三級金鵄勲章・勲二等旭日重光章
- 1900年(明治33年)5月10日 - 勲一等瑞宝章
親族
- 養子 黒田善治(男爵、陸軍少将)
- 三女 文子(善治の妻)
脚注
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