山岡 国利(やまおか くにとし、1882年〈明治15年〉2月 - 1945年〈昭和20年〉3月25日)は、日本の内務・農商務官僚、実業家。官選県知事。旧姓・奥、旧名・堅次。
経歴
鹿児島県出身。奥斎之助の二男として生まれた。1900年(明治33年)、山岡国吉の養子となり、1930年(昭和5年)、名を国利と改名。
第一高等学校を首席で卒業。1909年(明治42年)、東京帝国大学法科大学法律学科を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し山形県属となる。
以後、警視庁方面監察官、農商務大臣秘書官兼農商務省参事官、同省山林局書記官、同事務官、三重県警察部長、福岡県警察部長、兵庫県警察部長、内務省土木局河川課長などを歴任。
1922年(大正11年)10月、群馬県知事に就任。就任に当たり、政党色なしの県本位に県政を行うことを表明した。また、地場産業の蚕糸に影響が心配された人造絹糸について対応を行う。1924年7月、三重県知事に転任。1926年9月に休職となる。1928年(昭和3年)1月、宮崎県知事に就任。県庁舎、県立師範、女子師範の移転改築計画に取り組む。1929年7月、知事を休職となる。同年に退官。
その後、日南水産 (株) 代表取締役を務めた。
栄典
- 1920年(大正9年)11月1日 - 勲四等瑞宝章
親族
- 二男 山岡大二(海軍少佐・海将補)
- 三男 山岡三郎(海軍軍医少佐)
脚注
- ^ 『新編日本の歴代知事』1088頁。
- ^ 『朝日新聞』(東京本社発行)1945年4月3日朝刊、2面の死亡広告より。
- ^ 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』194頁。
- ^ 『新編日本の歴代知事』292頁。
- ^ 『新編日本の歴代知事』615頁。
- ^ 『官報』第2640号「叙任及辞令」1921年5月21日。
関連項目