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Japan
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Kōzō Sugimura
Japanese economist (1895-1948)

Kōzō Sugimura

The basics

Quick Facts

Intro
Japanese economist (1895-1948)
Places
Work field
Gender
Male
Place of birth
Hokkaidō, Hokkaidō Prefecture, Japan
Age
52 years
The details (from wikipedia)

Biography

杉村 広蔵(すぎむら こうぞう、1895年10月3日 - 1948年1月8日)は、経済哲学者。旧制東京商科大学(一橋大学の前身)助教授を務めていたが、白票事件と呼ばれる学内抗争に巻き込まれ大学を退職したのち、早世した。

人物

生い立ち

北海道函館生まれ。1916年東京高等商業学校(一橋大学の前身)本科に進み左右田喜一郎に師事する。1921年同校専攻科卒業、旧制東京商科大学(東京高等商業学校から大学に昇格、新制一橋大学の前身)助手、1924年同大学助教授就任。1925年イェーナに留学し1927年帰国。

大平正芳元総理大臣との関係

東京商科大学助教授として大平正芳(元総理大臣)等を教えた。大平には大きな影響を与えており、後年大平は「わたしの思想というものが仮にあるとすれば(杉村先生の思想が)それをつくるものの考え方の素材となっている」と述べ、杉村の著書『経済倫理の構造』は大平が亡くなる直前まで傍らに置かれていた。

白票事件

1935年博士号請求論文「経済社会の価値論的研究」を提出し審査委員会を通るが教授会で否決され、一年にわたる商科大紛争(白票事件)の発端となる。杉村は学長・佐野善作に辞表を提出、佐野は教授会での白票を無効として論文を可決する案を提示するが杉村は納得せず、論文を岩波書店から刊行する。学内抗争に発展して佐野は辞職、三浦新七が新学長となるが、1936年三浦は佐野派教職員の解職を発表、これに納得しない教授ら十四名が連袂して辞表を提出、文相平生釟三郎が乗り出し杉村を依願免官とした。

以後は大学の職には就かず、1938年上海日本商工会議所理事、1942年貿易統制会理事、1943年には「比島調査委員会」の一員としてフィリピンでの現地調査に従事するとともに交易営団理事。戦後1948年東京商大で講師を勤めるが早世。

著書

  • カント 三省堂 1935(社会科学の建設者人と学説叢書 ; 第8)
  • 経済哲学の基本問題 岩波書店 1935
  • 経済学方法史 理想社 1938
  • 経済倫理の構造 岩波書店 1938
  • 経済哲学通論 理想社 1938
  • 支那の現実と日本 岩波書店 1941
  • 支那・上海の経済的諸相 岩波書店 1942
  • 営団経済の倫理 大理書房 1943
  • 経済哲学概説 東洋経済新報社 1947
  • 経済哲学原理 東洋経済新報社 1947
  • 社会主義の哲学 近代社会の平等化の論理 武藤光朗共著 夏目書店 1947
  • 経済学方法史 理想社 1948
  • 経済倫理の構造 岩波書店 1948
  • 経済哲学の基本問題 理想社 1948
  • 世界経済安定の諸問題 社会評論社 1948
  • カントと社会哲学 思索社 1948
  • 社会主義の哲学 角川書店 1963

外部リンク

関連文献

  • 上久保敏 『日本の経済学を築いた五十人:ノン・マルクス経済学者の足跡』 日本評論社、2003年 ISBN 4535553645

脚注

The contents of this page are sourced from Wikipedia article. The contents are available under the CC BY-SA 4.0 license.
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