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Biography

吉良 貞義/足利 貞義(きら さだよし/あしかが さだよし)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将。三河国西条城主。

生涯

鎌倉幕府の御家人として9代執権・北条貞時から偏諱を受けて貞義と名乗ったようである。弘安4年(1281年)の弘安の役の際、大将として石見国に下向したと伝わる。その頃の石見地頭は「三河吉良右衛門」で、その末裔が羽隅氏を名乗り石見に土着したという。

弘安8年(1285年)の霜月騒動で父・吉良満氏を亡くし、吉良荘の領地が祖父・長氏に一旦返還されたため、長氏の養子となり所領を相続した。元亨3年(1323年)北条貞時の十三回忌供養では、一族の足利貞氏、斯波高経らと共に参加。砂金100両、太刀一腰を進上した。吉良氏が史料に表れるのは、霜月騒動以来この時が初めてであり、幕府への再出仕がようやく許されたと思われる。

元弘3年(1333年)3月、足利高氏は幕命により楠木正成らの討伐軍大将として鎌倉を出立、三河国八橋で軍議を開くが、既に幕府離反を決意していた高氏は、上杉憲房を貞義の許へ使いに出し、決意を述べ貞義の意見を求めたが、貞義は「決意は誠に目出度い、むしろ決断が遅過ぎると思ったほど」と答え、高氏の考えを支持、これに自信を得た高氏は倒幕行動を開始する。

建武2年(1335年)、中先代の乱が始まると、尊氏(高氏)・直義兄弟とともに行動し、建武政権から離脱する。同3年(1336年)正月、今川範国、天野経顕など遠江国の軍勢を率いて、近江国勢多を攻撃した。京都で後醍醐天皇方に敗れ、同年2月、足利氏とともに九州に落ちのびる。その後、足利氏に従い、同年6月、入京する。この時、石清水八幡宮に加賀国能美庄を寄進した。同4年(1337年)3月、代官を伊予国忽那島に派遣し、細川皇海と連携して忽那義範と戦わせた。

興国4年/康永2年(1343年)に没する。

登場作品

テレビドラマ

大河ドラマ『太平記』(1991年 NHK)演:山内明

脚注

  1. ^ 「海蔵紀年実相寺伝記」による。
  2. ^ 養寿寺本吉良系図の注による。
  3. ^ 谷口 2022, p. 44.
  4. ^ 現在の愛知県知立市。
  5. ^ 既に入道し上総禅門と称す。
  6. ^ 『難太平記』による。
  7. ^ 谷口 2022, p. 100.
  8. ^ 谷口 2022, p. 101.
  9. ^ 谷口 2022, p. 102.
  10. ^ 谷口 2022, p. 57.

出典

  • 「吉良町史 原始・古代・中世前期」
  • 「吉良町史 中世後期・近世」
  • 柳史朗「吉良氏十五代記」(1977年)
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