Kazu Nishimura
Quick Facts
Biography
西村 数(にしむら かず、1911年8月24日 - 2006年7月1日)は、日本の俳人。「ホトトギス」同人。本名は西村 一意(かずおき)。教育者でもあり、鹿児島県の公立高等学校の教頭や校長等を歴任。
人物
鹿児島県谷山村麓(現・鹿児島市谷山中央)にて、教育者の藤太郎とトミの嫡子として生まれ、少年期は清渓学舎で郷中教育を受ける。1929年(昭和4年)に鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)を卒業した後、神宮皇學館で学び卒業。
1929年(昭和4年)に17歳で句作を始め、1932年(昭和7年)に「ホトトギス」九月号で初入選。数年後、関西ホトトギス大会で虚子特選を得て、虚子を生涯師と仰ぐ。1935年(昭和10年)、佐賀県伊万里町で教員となり、当地で森永杉洞に師事。1939年(昭和14年)に27歳で鹿児島に戻り、同年より鹿児島市立女子興業学校勤務、1944年(昭和19年)より鹿児島県立第一鹿児島中学校 (旧制)勤務。国漢教員として勤めながら鹿児島ホトトギスの世話をする。戦後は、鹿児島ホトトギスの機関誌として「郁子(むべ)」を1949年(昭和24年)に創刊し、その発行に力を注いで、誌上では虚子俳句の研究も発表した。1954年(昭和29年)にラジオ俳壇選者、1956年(昭和31年)に西日本新聞鹿児島版の俳句選者となる。1957年(昭和32年)11月、鹿児島ホトトギス会員で協力して桜島に虚子の句碑を建立。教育者としては鹿児島県立鶴丸高等学校(旧制第一鹿児島中の後身)教頭を経て、1964年(昭和39年)より鹿児島県立加世田高等学校校長、1970年(昭和45年)より鹿児島商業高等学校校長を務め、1972年(昭和47年)退職。その後は鹿児島市教育委員会指導課長、鹿児島経済大学(現・鹿児島国際大学)事務局長を経て、1980年(昭和55年)から1982年(昭和57年)まで鹿児島経済大学国文学講師を務めた。
主な著書に句集『早梅』、句集『初花』、随想『あしの芽』、『南日本歳時記』(共著、大岳水一路と共編)がある。その他、多数の句集、随筆、教本などを残す。『南日本歳時記』の執筆など地域に根ざした活動が評価され、1981年(昭和56年)に南日本文化賞を受賞。1985年(昭和60年)勲四等瑞宝章。同年、「ホトトギス」八月号の巻頭を飾る。2006年(平成18年)、肺炎のため94歳で逝去。
伝統俳句に徹して、抒情的な句に特色がある。