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Kagetsuna Utsunomiya

Kagetsuna Utsunomiya

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Biography

宇都宮 景綱(うつのみや かげつな)は鎌倉時代中期の鎌倉幕府の御家人。宇都宮氏第7代当主。父は宇都宮泰綱。母は北条朝時の娘。

生涯

建長4年(1252年)4月、宗尊親王の近習として仕える。正嘉元年(1257年)には御格子番、弘長3年 (1263年)には御鞠奉行に任じられるなど、宗尊親王から重用された。その後も下野守に叙任され、引付衆や評定衆に任じられるなどして、幕政の中でも重きを成した。弘安6年(1283年)には御成敗式目に基づき宇都宮家式条(宇都宮家弘安式条)を制定した。

弘安8年(1285年)11月、内管領平頼綱によって安達泰盛が滅ぼされた霜月騒動では、景綱は安達氏の縁戚(泰盛と義兄弟の関係)であった事から失脚するが、永仁元年(1293年)に平禅門の乱で頼綱が滅ぼされると幕政に復帰した。永仁6年(1298年)5月1日、64歳で死去。

人物

  • 歌人としても優れた才能を持っていたといわれている。
  • 安達義景の娘を正室に迎えたが、諱(実名)の「景」の字はその義景から一字拝領したものと考えられている。

脚注

  1. ^ 江田郁夫 「総論 下野宇都宮氏」(所収:江田郁夫 編『シリーズ・中世関東武士の研究 第四巻 下野宇都宮氏』(戎光祥出版、2011年)P.9)より。父の泰綱や子の貞綱、孫の高綱は北条氏得宗家より1字を受けていたが、景綱は例外であった。しかし、安達氏は得宗家の外戚として幕政の中枢に位置していた家柄であるから冷遇というわけではないようである。或いは義景が得宗家当主(北条時頼か)の指名を受けて烏帽子親となった可能性も考えられる(参考:山野龍太郎 「鎌倉期武士社会における烏帽子親子関係」(山本隆志 編『日本中世政治文化論の射程』(思文閣出版、2012年))。
下野宇都宮氏当主(? - 1298?)
下野宇都宮氏当主(? - 1298?)
The contents of this page are sourced from Wikipedia article. The contents are available under the CC BY-SA 4.0 license.
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