Jirō Suga
Quick Facts
Biography
須賀 次郎(すが じろう、1935年1月25日 - )は日本の社会起業家 教育者 技術者。 財団法人 社会スポーツセンター顧問。特定非営利活動法人 日本水中科学協会を設立代表理事。
東京府東京市日本橋区(現・東京都中央区)出身。 1959年3月 東京水産大学増殖学科卒業。水産生物の生態潜水調査専攻。
2010年、特定非営利活動法人 日本水中科学協会(JAUS)を設立し代表理事に就任。現在に至る。また現在は全日本潜水連盟 理事長 財団法人 社会スポーツセンター常務理事 株式会社スガ・マリンメカニック 代表取締役 株式会社テ・ル 代表取締役を退任している。
幼年から大学時代
生まれは東京日本橋浜町。生家は1945年3月10日の東京大空襲で家は焼けてなくなり、世田谷区野沢に住む事になる。過保護に育てられた幼少期は小児喘息を患い、小学校(国民学校)に入る前、神奈川県葉山に転地療養をする虚弱児だった。そのために小さい頃から本を愛し、小学校2年生で宮本武蔵を読む。宮本武蔵に憧れ修行に憧れ、この頃から川で遊ぶようになる。溺れながらも運良く浅瀬に辿り着き、水の流れや渦を読む事を覚え、やがて泳げるようになった頃、小児喘息はほぼ完治する。死ぬか生きるか以外、多少のことは我慢する事を覚えた。その後、二子多摩川の兵庫島で泳ぐようになる。子供心に生き延びるバランス感覚を覚える。
- 少年時代
東京に戻り東京学芸大学付属小学校に編入する。敷地内にある大学のプールで水泳に熱中し、水平に25m潜水が出来るようになる。チャンバラや空気銃で遊び、映画が好きで特に西部劇が好きだった少年期に、幸運でないと生き残れないと映画から学ぶ。将来何になりたいかと聞かれると、『幸運児』になりたいと答える。
- 中学校〜高校時代
学芸大学付属中等科で出会った担任の「君の目はフロンティアを見ているようだね」という言葉がその後の生涯を決め、自身のフロンティアは海だと思うようになる。水泳部がないことから、中学から高校時代はバスケットボールに明け暮れる毎日を送る。バスケットボールは心肺機能に負荷がかかり、敏捷性とバランス感覚が必要なスポーツで、ダイビングのために必要な能力を蓄えるには最適なスポーツだった。高校は進学校である、都立戸山高校に入学。
- 大学時代
「海で生活することができる研究者になり、潜って魚を突き、南のヤシの葉陰で研究をしよう。海洋生物学者のユジニ・クラークのように生きたい。」という思いから、海を学べる東京水産大学に1955年4月入学。大学の『水産生物研究会』クラブにて活動をはじめる。その後、銛で魚を突いて調べる方法を学ぶ。 大学1年生の水泳実習にて、初めてアクアライニング(スクーバダイビング)に出会い、海に潜るスポーツマン、科学者の中の1人になり、できれば先導者になりたいと決意を固める。大学卒業後は東亜潜水機に勤務、潜水の専門家を目指す。
100m潜水
- 1960年 25歳、100m潜水にむけて器材の制作を始める。
- 1963年8月9日
- 11時39分 潜水開始。11時43分、水深45mに到達。
- 11時46分 水深計で78m確認。船上に報告。水深90mのライトに到着。
- 11時49分 90mの水中ライトを越える。100m潜水を計画してから3年で実現。後に1996年2月61歳、テクニカルダイビングで102m潜水に成功している。
有限会社 アアク・フアイブテレビ
1985年10月01日 須賀潮美の水中レポート番組(ニュースステーション)の撮影を行うために設立。
以後、東京都立葛西水族館や東海大学海洋博物館の3D立体映像の撮影を行ったほか、広くテレビ番組企画、水中撮影に関する様々な仕事を、主に須賀次郎の水中撮影に関連する仕事を行う。また、湾岸戦争石油流出、伊豆大島島民避難、伊東沖噴火、阪神・淡路大震災等の報道番組の取材製作にも関わっている
また、1993年頃からは千葉県館山湾、沖の島から洲崎などで藻場や人工魚礁の海洋調査も行っている。
特定非営利法人:日本水中科学協会(JAUS)
日本財団助成事業 Japanese Academy of Underwater Sciences(略称 JAUS ジャウス)2010年3月設立。 1967年に発足した日本潜水会のメンバーを中核として水中活動分野の有志を集め特定非営利法人として活動。水中調査活動(サイエンスダイビング)のみでなく、すべての水中活動の安全と充実のために必須である基準とマニュアルの策定を目指して、日本財団の協力を得て、シンポジウムを船の科学館で開催し、257名の参加者を得てスタートした。
その他の活動
1993年から須賀次郎が日本潜水会というクラブ名で、個人的に行っている練習会がある。練習会場は、東京辰己国際水泳場ダイビングプール(5m)が主で、サブプールで行う事もある。
- 2000年スノーケリング講習(親と子のスノーケリング)
毎年、浦安市の屋内多目的プールで、スノーケリングの練習を行っている。2015年度は、5月19日から7月14日に前期の講習を行った。前期と、後期の2回に分けて開催。
可動式床で水深3mまで深くなる。19時〜21時の2時間の講習を全4回、計8時間のスノーケリング練習。3mまで潜るスキンダイビングをスノーケリングとして講習を続ける。参加条件は、必ず両親のいずれかが参加し、バディ参加と決めている。この講習では、バディシステムを徹底的に教えている。ただ一緒にいるのではなく、親は子供を一瞬たりとも手元から離してはいけないと指導し、いつでも子供に手を差し伸べられるよう、子供はいつでも親に掴まる事が出来る状態で練習を行う。
- 浦安海豚倶楽部
2000年に結成された、浦安市の屋内多目的プール(水深3mの可動式床の20mプール)をホームプールとしている市民スポーツグループ。市民対象のスノーケリング講習会を行い、その後参加者がこれを続行しようと結成した。15年継続しているうちに60歳以上のメンバーが多くなる。時には東京辰己国際水泳場の5mダイビングプールを使用する事もある。会員の中から任期一年の会長、副会長、会計、渉外の役員が倶楽部を運営している。
- スキンダイビングツアー
年に一度、夏季にスキンダイビング旅行をする。沖縄の慶良間が最も多い。ホームプールと同様な水深3m前後で透明度があり、波がなく、流れも一定方向で、エントリー・エキジットが容易で、生き物が豊富にみられる。もしもの場合救助しやすい事も重要である。スキンダイビングでは、救助の一瞬の遅れが取り返しのつかない結果をもたらす。場所を決めて海を熟知することが安全性を高める。つまりホームグランドである。
人物・来歴
- 1955年 東京水産大学入学・スキンダイビング開始。
- 1956年 奄美大島でスクーバの体験。
- 1957年 東京水産大学潜水部クラブ創立。
- 1957年 日本潜水科学協会 後の海中開発技術協会創立。学生会員第一号として参加。
- 1962年3月 潜水士制度第一回試験合格第71号
- 1963年8月9日 千葉県館山市で90M実験潜水。
- 1964年 読売ランドに水中劇場『竜宮城』オープン 水中舞台監督に就任。
- 1966年2月4日 全日空機が羽田沖に墜落。航空局の依頼で水中現場写真を撮影する。
- 1966年 7月潜水指導書『アクアランド潜水』出版。
- 1967年12月 日本潜水会創立。日本初の潜水指導員養成と潜水技術認定を行う。
- 1969年6月(株)スガマリンメカニック設立。
- 1972年11月 全日本潜水連盟設立。全国の指導組織を統合した全日本潜水連盟を設立し、インストラクターの指導にあたる。
- 1997年 東京水産大学で、潜水にかかわる実習の講義を行う。
- 1980年 釜石湾口防波堤調査工事、ヘリウムがスを使用して、水深70m、船上減圧潜水を行う。
- 1981年 岩手県竜泉洞探検 NHK特集。
- 1988年 社会スポーツセンターによる社会体育指導者講習始まる。
- 1988年9月 文部大臣認可・財団法人社会スポーツセンター理事に就任。文部省社会体育指導者資格付与制度をスクーバ・ダイビングに導入する。
- 2010年 特定非営利活動法人日本水中科学協会を設立代表理事に就任。
- 2014年7月17日 ニッポン潜水グラフィティ、須賀次郎著、成山堂書店より刊行。
- 2017年
- 12月10日 日本水中科学協会(JAUS) 第七回シンポジウム開催
職歴
- 1959年 東亜潜水機株式会社入社。スクーバ機材の設計製作販売を担当。
- 1969年6月 株式会社スガ・マリンメカニック設立。水中撮影機材の設計製作販売、水中機器を利用した主として水産関連・海洋の調査を全国の研究機関の依頼を受け行う。
- 1986年10月 有限会社アアク・ファイブ・テレビ設立。
- 1986年 ニュース・ステーション「立松和平と須賀潮美の心と感動の旅」撮影を担当。フルフェースマスクによる水中レポートシステムを開発。
- 1988年 有限会社アアク・エイト・テレビ設立。長良川河口堰に関連して淡水の映像撮影の専門プロダクション。
著書
- 『アクアラング潜水』ダヴィット社刊・『須賀次郎・浅見国治共著』、1966年。ASIN B000JAAUDI。
- 『アクアラング潜水』ダヴィット社刊・『須賀次郎・浅見国治共著』、1968年。
- 『水中写真の撮影』恒星社厚生閣・『須賀次郎・小池康之共著』、1972年。ASIN B000JA1KSW。
- 『スポーツダイビング入門』ダイビングワールド社『須賀次郎・竜崎秀夫共著』、1976年7月。ASIN B000J8VB2O。
- 『スポーツダイビング入門』マリン企画・『須賀次郎・竜崎秀夫共著』、1977年。
- 『アクアラング潜水』ダヴィット社刊・『須賀次郎・浅見国治共著』、1978年。
- 『潜水と水中撮影入門』共立出版・『須賀次郎・後藤道夫共著』、1978年。ISBN 978-4-320-09214-3。
- 『スポーツダイビング入門』マリン企画・『須賀次郎・竜崎秀夫共著』、1982年。ISBN 4895123014。
- 『社会体育指導者補助教本』財団法人・社会スポーツセンター、1991年。
- 『スクーバダイビングマニュアル(水産高校ダイビングテキスト指定)財団法人・社会スポーツセンター』、1996年。
- 『産業界の動向・マリンスポーツとしてのスクーバダイビング』『産業教育/文部省職業教育課編・須賀次郎著』記事・論文、2000年。
- 『リレー随筆:海岸を巡る環境教育』須賀次郎著、2002年。
- 『ダイビング:潜水技術検定テキスト』社会スポーツセンター出版・『須賀次郎・小池康之監修』、2003年。
- 『豊かな海』全国沿岸漁業振興開発協会出版・須賀次郎著:写真・文、2003年。
- 『水の惑星:ベテランダイバーが語る』NDL雑誌記事索引『アンディ・バイヤット対談:須賀次郎』記事・論文、2004年。
- 『最新ダイビング用語事典:安全管理、活動の実例から医学、教育情報まで』日本水中科学協会編集、成山堂書店、2012年12月。ISBN 9784425954810。
- 『一発合格!よくわかる潜水士試験完全攻略テキスト&問題集』ナツメ社『須賀次郎・工藤和由共著』、2014年4月。ISBN 9784816355998。
- 『ニッポン潜水グラフィティ』成山堂書店・『須賀次郎著 ダイビング界のレジェンドが今、ここに語る!』、2014年7月。ISBN 978-4-425-94821-5。
- 『スキンダイビング・セーフティ』成山堂書店・『須賀次郎・岡本美鈴・千足耕一・藤本浩一共著 スノーケリングからフリーダイビングまで』、2015年6月。ISBN 978-4-425-95561-9。
参考画像
1967年日本潜水会発足の記念写真
1975年スガ・マリンメカニック人工漁礁調査
1980年釜石湾口防波堤調査工事水深70m
1986年〜1996年ニュース・ステーション水中レポート
1993年8パーフォレーションの35mm展示映像用のカメラを構えて、函館昆布館の展示映像を撮影
2004年リブザーブ潜水にて最後となるフィルムカメラで撮影
出典
- ^ 東京海洋大学潜水部
- ^ 東京海洋大学潜水部OB会
- ^ 有限会社 アアクエイトテレビ
- ^ 一般財団法人社会スポーツセンター
- ^ 日本水中科学協会(JAUS)
- ^ 2014年8月27日 朝日新聞
- ^ 2014年版ニッポン潜水グラフィティ10項〜16項
- ^ ダイビングと海の総合サイト・オーシャナ
- ^ 月刊ダイバー2015年1月号 100項〜103項
- ^ 2015年スキンダインビング・セーフティ70項〜73項
- ^ 龍泉洞探検
- ^ アアクエイトTV
- ^ 国立国会図書館サーチ