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Biography

ジルワダイ(モンゴル語: J̌ilwadai,中国語: 只児瓦台,? - ?)とは、13世紀初頭にチンギス・カンに仕えたコンギラト部族長デイ・セチェンの子孫。1276年に生じた「シリギの乱」に呼応して挙兵し、コンギラト部の根拠地応昌を包囲したが、クビライの派遣した遠征軍によって叛乱は鎮圧されジルワダイは殺された。

『元史』における漢字表記は只児火台只里斡台只里瓦歹只児瓦台只児瓦䚟只里瓦帯折児凹台只魯瓦歹など。

概要

「シリギの乱」が起こる前、コンギラト部はデイ・セチェンの息子アルチ・ノヤンの息子ナチン・キュレゲンの息子オロチンが当主の座にあった。「張氏先塋碑」によると、ジルワダイはオロチンの弟であったという。

至元13年(1276年)冬、以前よりクビライ政権に不満を抱いていたシリギ、トク・テムルといったトゥルイ系諸王はアルマリクにて叛乱を起こし、シリギをカーンに推戴してクビライに叛旗を翻した(シリギの乱)。叛乱軍はアルマリクから東に進み、モンゴル高原を制圧しようとしたが、これに呼応して兵を挙げたのがジルワダイであった。

ジルワダイは兄のオロチンを捕虜としてコンギラト部の根拠地応昌を包囲し、更に北上してシリギ軍と合流しようと企んだ。これに対し、クビライはコンギラトともに「左手の五投下」を構成するウルウト部当主トゴンとマングト部当主ボロカン、新興のキプチャク・アスト兵を率いるセチェン・バートル、カングス、ウワズ、シクドゥル、バイダル(オイラト人のベクレミシュの指揮下にあった)らがシリギ及びジルワダイの討伐に派遣され、そして耶律元臣や洪茶丘といった人物もこれに従軍した。

ジルワダイと合流しようとしていたトク・テムルは先行してモンゴル高原に到着していたキプチャク軍を率いるトトガクに進路を阻まれ、ジルワダイの下に到着することができなかった。シリギ軍と合流できなかったジルワダイは単独でカラ・カドゥ(懐剌合都/懐魯哈都)の地において大元ウルスの軍勢と戦い、敗北した。この時の戦いでは、ジャライル部出身のトゴンが流れ矢を日本受けながら戦い抜くという功績を挙げ、後にクビライより労われている。

敗れたジルワダイは逃れたが耶律元臣がこれを追跡し、魚児濼において捕虜とされた。耶律元臣はこの功績を賞され、この後も応昌に駐屯することになった。

ジルワダイの乱鎮圧に参戦した将軍の多くはここから更に北上し、シリギ、トク・テムル軍の討伐に参加していった。

脚注

  1. ^ 『満州金石志』巻4、張氏先塋碑。『新元史』巻115列伝12「至元十四年、斡羅陳弟只児瓦台叛、夾斡羅陳北去、並竊太祖所賜誓券。未幾、斡羅陳爲只児瓦台所殺、其左右張応瑞逃帰、世祖嘉之、賜鈔五百緡、命応瑞輔斡羅陳子諦瓦不剌、収其部衆」
  2. ^ 杉山2004,300頁
  3. ^ 『元史』巻120列伝7朮赤台伝、「哈答子脱歓、亦嘗従諸王徹徹都討只児火台、獲之」
  4. ^ 『元史』巻121列伝8博羅歓伝、「十四年、討叛臣只里斡台於応昌、平之」
  5. ^ 『元史』巻123列伝10苫徹抜都児伝、「苫徹抜都児、欽察人。……十四年、従討叛人只里瓦歹於懐剌合都、改宣武将軍・滁州路総管府達魯花赤」
  6. ^ 『元史』巻132列伝19杭忽思伝、「杭忽思、阿速氏。……時失烈吉叛、詔伯荅児領阿速軍一千往征之、与甕吉剌只児瓦台軍戦于押里、復与薬木忽児軍戦于禿剌及斡魯歓之地」
  7. ^ 『元史』巻132列伝19玉哇失伝、「玉哇失、阿速人。……只児瓦歹叛、率所部兵撃之、至懐魯哈都、擒其将失剌察児、斬于軍、其衆悉平」
  8. ^ 『元史』巻133列伝20昔都児伝、「昔都児、欽察氏。……十四年、従諸王伯木児追撃折児凹台・岳不忽児等於黒城哈剌火林之地、平之」
  9. ^ 『元史』巻135列伝22阿答赤伝、「伯荅児従別急列迷失北征、与甕吉剌只児瓦台戦于牙里伴朶之地、以功受上賞」
  10. ^ 『元史』巻149列伝36移剌捏児伝、「[耶律]元臣、別名哈剌哈孫……[至元]十四年、只児瓦台叛、囲応昌府、時皇女魯国公主在囲中。元臣以所部軍馳撃、只児瓦台敗走、追至魚児濼、擒之、公主賜賚甚厚、奏請暫留元臣鎮応昌、以安反側」
  11. ^ 『元史』巻154列伝41洪福源伝、「俊奇小字茶丘、福源第二子也。……十四年……二月、率蒙古・高麗・女直・漢軍、従丞相伯顔北征叛臣只魯瓦歹等」
  12. ^ 句容郡王世績碑「至元十四年、叛王脱脱木・失列吉入寇諸部曲見掠先朝大武帳亡焉。土土哈王憤之、誓請決戦……四月、只児瓦䚟搆乱応昌、脱脱木以兵応之、与我軍遇将決戦。先得其斥候数十、脱脱木懼而引去、遂滅只児瓦䚟」/『元史』巻128列伝15土土哈伝
  13. ^ 『元史』巻133列伝20脱歓伝、「脱歓、札剌児台氏。……十四年春、授懐遠大将軍・太平路総管府達魯花赤。会只里瓦帯寇北辺、帝命脱歓往討之、戦、左臂中流矢二、帝慰労之、賜鎧甲・弓矢・鞍勒・鈔千五百緡」
  14. ^ 村岡1985,320頁
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