Isamu Yamagishi
Quick Facts
Biography
山岸 勇(やまぎし いさむ)は、日本のゲームセンター店長。対戦格闘ゲームイベント運営・実況の草分け的人物、ならびに『バーチャファイター』シーンの牽引者として知られる。通称・マルワイ。
略歴
ハイスコアラーの聖地「町田プレジャーキャッスル」の店長を務め、「ゲームスポットアテナ町田店」に移籍。ゲームセンター主導イベントの先駆け「アテナ杯(現ビートライブカップ)」を企画し、『バーチャファイター』シリーズ最大の大会に成長させる。大型eスポーツ大会「闘劇」立役者の一人。「東京レジャーランド秋葉原」勤務を経て、2018年現在「池袋ゲーセンミカド」店長。
経歴
町田プレジャーキャッスル
1980年代半ば、大学進学のため上京。ゲームに特別な関心はなかったが、アルバイトとして町田市のタイトー直営ゲームセンター「町田プレジャーキャッスル」で働き始める。
スコアアタック文化
プレジャーキャッスルはハイスコアラーの聖地として知られる名店であり、全国各地から名うてのプレイヤーたちが“遠征”に訪れる。山岸の自宅にはそうしたプレイヤーがよく宿泊した。
『ゲーメスト』がゲームセンターランキング(全一スコアの獲得合計数を店舗単位で競う、いわゆる星獲り)を開始。タイトー直営ゆえのラインナップの偏りを解消するため「プレイタウンYOU&YOU町田店」と手を結び、「キャッスル&You2」名の合同集計で全国1位に輝く。当時のこうした競争により、店舗単位・地域単位のプレイヤーコミュニティが形成されていった。
1990年前後に連射装置を導入し、それを用いて達成したハイスコアを全国に先駆けて申請。公平性を問題視されたが、「連付き/連なし」として記録を区別するよう働きかけて認められ、以後定着した。
絵を描くのが巧みで、店内に掲示されるハイスコアボードに自分のスコアネームとイラストを描いてもらうのが常連プレイヤーたちの楽しみであった。
対戦格闘ブーム
サッカーゲーム『TEHKAN World Cup』の対人戦が全国各地で流行。山岸も常連プレイヤーたちと共に遠征対戦や大規模大会を経験する。
やがて『ストリートファイターII』を始めとする対戦格闘ゲームブームが訪れ、ハイスコア争いは相対的に下火になっていく。
“対戦台”(2台のキャビネット筐体を背中合わせに接続する、現在では一般的な方式)の噂を聞きつけ「ジョイフルランドヒノーズ下井草」に遠征。対戦ハーネス(配線)の作り方を教わり自店にも導入した。
ゲームスポットアテナ町田店~ビートライブ
1993年頃、株式会社アテナの運営するゲームセンター「ゲームスポットアテナ 町田店」に店長として引き抜かれる。
バーチャファイターとの出会い
新宿区のゲームセンター「GAME SPOT21」における『バーチャファイター』の盛り上がりとプレイヤーたちのスタイルに衝撃を受ける。その後『同2』が発売されると本格的に導入し、自店への浸透・強化に取り組む。ゲーム雑誌ライターとなっていた元常連たちからの情報提供、彼らとの夜間練習や録画によるフレーム解析などを取り入れ、プレイヤーのレベルアップを図った。
アテナ杯開催
東京レジャーランド秋葉原
池袋ゲーセンミカド
2018年12月17日、池袋ゲーセンミカド店長に就任。
脚注
注釈
出典
- ^ イケダミノロックのそんなカンジでおねがいします(仮) 第1回 - YouTube
- ^ “インタビュー”. バーチャファイター20周年記念特設ウェブサイト.セガ (2014年3月12日). 2018年12月17日閲覧。
- ^ きらり屋 (2018年2月26日). “ゲーセンの楽しさ増幅装置だった『ゲーメスト』”.ゲーム文化保存研究所. 2018年12月20日閲覧。
- ^ 大塚ギチ 『舞台「TOKYO HEAD ~トウキョウヘッド~」パンフレット』 bootleg! books、TOKYO HEAD 1.2。
- ^ 『ゲーメスト 1993年2月号』、新声社、1993年2月。
- ^ RED「対戦! ワールドカップ・フリークス」『月刊アルカディア 2001年9月号』、エンターブレイン、2001年9月。
- ^ “ゲーセンミカドが“超大型新人”を獲得!? 名ゲームセンターの店長を勤めた山岸勇氏が電撃移籍! 入団会見がインターネットで配信”. ファミ通.com.Gzブレイン (2018年12月4日). 2018年12月17日閲覧。
- ^ 【緊急会見】平成最後の大型新人入団発表 - YouTube