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Hiroshi Kanbayashi
���本の陸軍軍人、医師

Hiroshi Kanbayashi

The basics

Quick Facts

Intro
���本の陸軍軍人、医師
Work field
Gender
Male
Birth
Age
76 years
The details (from wikipedia)

Biography

神林浩

神林 浩(かんばやし ひろし、1890年(明治23年)7月14日 - 1966年(昭和41年)4月12日)は、日本の陸軍軍人、医師。最終階級は陸軍軍医中将。旧姓・小岩井。

略歴

長野県出身。小岩井永次郎の二男として生まれ、神林玄進の養子となる。松本中学校(現長野県松本深志高等学校)、第二高等学校を経て、1917年(大正6年)6月に東京帝国大学医科大学を卒業し、二等軍医に任官し歩兵第56連隊付となる。1918年(大正7年)6月、久留米衛戍病院付となる。1920年(大正9年)8月、陸軍軍医学校に専攻学生として入学。1921年(大正10年)4月、一等軍医に昇進。その後、東京陸軍幼年学校付、陸軍省医務局課員を務め、1925年(大正14年)3月、医学博士の学位を受けた。

1926年(大正15年)3月、三等軍医正に進級し竜山衛戍病院付となる。1927年(昭和2年)7月、医務局課員に就任し、兼軍医学校教官を務め、1930年(昭和5年)8月、二等軍医正に昇進。1935年(昭和10年)3月、東京第二衛戍病院(現国立成育医療研究センター)長に就任し、同年8月、一等軍医正に進んだ。

1937年(昭和12年)3月、医務局衛生課長に転じた。小泉親彦医務局長を補佐して厚生省の設立に尽力した。1938年(昭和13年)12月、軍医少将に進級し軍医学校幹事兼教官となる。1941年(昭和16年)3月、北支那方面軍軍医部長に発令され日中戦争に出征。同年11月、軍医中将に進んだ。同年12月、支那派遣軍軍医部長に転じ、1943年(昭和18年)3月、陸軍省医務局長に発令されて帰国し終戦を迎えた。1945年(昭和20年)11月に復員した。1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた。

その後、開業医となった。

栄典

位階
  • 1937年(昭和12年)12月28日 - 正五位
  • 1942年(昭和17年)1月15日 - 従四位
勲章
  • 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章
  • 1942年(昭和17年)1月14日 - 勲二等瑞宝章

脚注

注釈

  1. ^ 『日本陸軍将官辞典』247頁では7月13日。
  2. ^ 『日本陸軍将官辞典』247頁では4月13日。

出典

  1. ^ 『日本陸海軍総合事典』第2版、48頁。
  2. ^ 『日本人名大辞典』585頁。
  3. ^ 『日本陸軍将官辞典』247頁。
  4. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』541頁。
  5. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」53頁。
  6. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
  7. ^ 『官報』第4506号「叙任及辞令」1942年1月19日。
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