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Japan
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Egawa Hidetake
12 May 1853 - certain 2 Oct 1933

Egawa Hidetake

The basics

Quick Facts

Intro
12 May 1853 - certain 2 Oct 1933
Places
Work field
Gender
Male
Place of birth
Nirayama, Tagata district, Shizuoka Prefecture, Japan
Place of death
Hayama, Miura district, Kanagawa Prefecture, Japan
Age
80 years
The details (from wikipedia)

Biography

江川 英武(えがわ ひでたけ、嘉永6年4月5日(1853年5月12日) - 昭和8年(1933年)10月2日)は幕末期の韮山代官、明治期の韮山県知事・役人・教育者である。通称は籌之助、後に太郎左衛門。号は春緑。子に法学者の江川英文がいる。また、娘婿に山田三良・辰野隆がいる。

来歴

江川英龍(坦庵)の五男として伊豆国田方郡韮山(現・静岡県伊豆の国市)に生まれる。安政2年(1855年)に父が亡くなり、家督は兄の江川英敏が継いだが、7年後の文久2年(1862年)に兄も若くして亡くなったため、英武がわずか10歳にして家督を継承して江川家第38代当主・韮山代官となり、江川太郎左衛門を名乗った。その後、鉄砲方や講武所教授方にも任命された。

慶応4年(1868年)に戊辰戦争が勃発した際には、早々に明治政府側に恭順の意を示したため旧領を安堵され、明治2年(1869年)には韮山県の知事となった。明治4年(1871年)、兵部省の命を受け、岩倉使節団と共に留学生として渡米する。約8年の留学の後、明治12年(1879年)に帰国し、内務省・大蔵省に出仕した。明治19年(1886年)、町村立伊豆学校(現・静岡県立韮山高等学校)の校長に就任。学校では英語教育と柔道教育(富田常次郎を講師として招聘)に力を入れたが、経営難から生徒が減少し、数年後に校長職を辞して東京に移った。又、第1回衆議院議員総選挙に静岡県第7区(駿東郡、田方郡など)から無所属で出馬し306票を獲得したが落選し、続く第2回衆議院議員総選挙にも同選挙区から立候補したが、最下位得票で落選した。

昭和8年(1933年)、神奈川県三浦郡葉山町において死去。享年81。

脚注

  1. ^ 江川英武と伊豆学校 - 韮山高等学校同窓会メールマガジン
The contents of this page are sourced from Wikipedia article. The contents are available under the CC BY-SA 4.0 license.
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