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Japanese professional wrestler
Atsuhide Koma
The basics
Quick Facts
Intro
Japanese professional wrestler
A.K.A.
Hideo Koma
Places
Work field
Gender
Male
Place of birth
Setagaya-ku
Place of death
Tokyo
Age
35 years
The details (from wikipedia)
Biography
来歴
早稲田実業学校高等部時代は野球部に所属(同期に王貞治)。卒業後の1961年6月に日本プロレスに入門し、同年10月11日の平井光明(ミツ・ヒライ)戦でデビュー。この時期のリングネームには駒厚秀、駒角太郎などがある。身長170cm程度とプロレスラーとしては小柄であるが、素早い動きと高さのあるドロップキックを武器に奮闘した。
1970年1月にメキシコ遠征、マシオ・コマのリングネームを用いた。同年8月28日にエル・ソリタリオを下し、NWA世界ミドル級王座を獲得。その後アメリカに転戦し、アマリロ地区でファンク一家とのコネクションを得る。
1972年、ジャイアント馬場が日本プロレスを離脱すると馬場に合流し、全日本プロレスの立ち上げに参加する(この時、9月に行われた設立発表の会見時にはアマリロ遠征中であったため、10月21日の旗揚げに間に合うよう急遽帰国した)。全日本プロレスではジョー樋口と共に外国人選手の招聘や、若手の指導を行うようになる。1973年のジャンボ鶴田入門時には、鶴田のアマリロ修行に同行、指導した。
1976年1月5日の試合を最後に病気のため戦列離脱。3月10日、尿毒症による腎不全のため、東京都内の病院で死去。35歳没。同日、全日本プロレスの日大講堂大会で10カウントの弔鐘が行われた。
エピソード
- 礼儀や生活態度に厳しい、練習熱心な人物像が伝えられている。薗田一治(後のハル薗田)が入門を希望して全日本プロレスを訪問した際、服装が宜しくないとしていきなり張り手を見舞ったというエピソードが残っている。そういった真面目な性格が尊ばれた一方、時には頑固過ぎる性格が軋轢を招いたこともあったらしく、グレート小鹿は「馬場に対し真っ向から意見できたのは駒だけ」「すでに若手でなくなっていた自分に対してでさえ、(メインイベントに登場する馬場が目立つようにするため)派手な技を使うことを禁止してきた」「言っては悪いが、駒がいなくなってから会社の雰囲気が明るくなった」(大意)と回想している。
- ジャイアント馬場の最初の付き人でもあった。全日本プロレスに参加した後も馬場の片腕として活躍した。
- 馬場も駒をかわいがっており、全日本プロレス立ち上げ時にアマリロ遠征中であった駒を中途帰国させる事となった。
- 予定を切り上げて急遽帰国する事になった駒について、馬場は当地のプロモーターであり、NWA役員でもあったドリー・ファンク・シニアに挨拶をしなくては、と直接アマリロを訪問している。この時に得られたドリー・ファンク・シニアの支援やファンク一家とのコネクションが、後の全日本プロレスに多大な影響を及ぼす事となった。
- 真面目で練習熱心、会社のために尽力した駒に対するジャイアント馬場の信頼は非常に厚く、駒が亡くなった際、馬場は「なぜなんだ!」と言ったきり絶句したという。
- 日本プロレス時代の後輩にあたる山本小鉄は、駒同様に大変に練習熱心な人物として知られるが、二人はライバルであると同時に仲が良かった(山本はこれを「駒さんとは『手が合う』関係だった」としている)。日本プロレスが崩壊する過程で、全日本の駒に対し、山本は新日本プロレスと違う進路を取ることとなったが、共に若手の指導を行う立場となり、両団体がほぼ断交状態にあった中でも、練習方法や指導方法について相談し合う事が多かった。ザ・グレート・カブキの回想によると、駒は山本同様若手にはガチンコを徹底指導し、大技を使うことを厳しく制限していたという。
- 野球の強豪校で活躍した実力から、力道山が作った野球チーム「レスラーズ」でもレギュラー選手として活躍した。
得意技
所得タイトル
リングネーム
- 駒秀雄
- 駒厚秀
- 駒角太郎
- マシオ駒
- マシオ・コマ(Maseo Koma)
- ヒデオ・コマ(Hideo Koma)
- アメリカでの活動時に本名が用いられており、フロリダでのヒロ・マツダらとのタッグ戦が確認できる。
- ミスター駒(Mr. Koma)
脚注
- ^ 『G SPIRITS Vol.42』(辰巳出版・ISBN 9784777818129)p.34-35
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