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李溶 (新疆省长)
politicus

李溶 (新疆省长)

The basics

Quick Facts

Intro
politicus
Work field
Gender
Male
Birth
Age
70 years
The details (from wikipedia)

Biography

李 溶(り よう)は、中華民国の政治家。号は鏡泉。原籍は甘粛省蘭州府靖遠県

事跡

幼年時代は故郷の私塾に通う。後に甘粛省の秋古書院で学んだ。新疆に戻ると、イリ、恵遠(現在の霍城県)で学堂の堂長となっている。

中華民国成立後の1913年民国2年)、参議院議員に選出される。1915年(民国4年)8月、シャヤール県(沙雅県)知事となった。1919年(民国8年)、トルファン県知事となり、トルファン紡績工廠総経理も兼ねる。その後、新疆省議会議長になった。

1928年(民国17年)11月、李溶は新疆省政府主席となった金樹仁の下で省政府委員に起用された。金がクーデターにより逃亡した後の1933年(民国22年)9月、省政府が改組され、劉文竜が省政府主席となったが、そのまま李は留任している。まもなく辺防督弁盛世才がクーデターを起こし、12月には劉を捕縛、軟禁する事件が起きた。盛は朱瑞墀を後任の省政府主席代理として擁立したが、翌年3月に朱は病没する。それを引き継ぐ形で李が省政府主席代理として盛に擁立されている。

結局、国民政府も盛世才のクーデターを黙認・追認せざるを得なくなり、10月、正式に李溶が劉文竜の後任として新疆省政府主席に任命された。しかし、李はあくまで盛の傀儡に過ぎず、実権は盛が掌握している。

1940年(民国29年)3月21日、李溶は省政府主席に在任したまま病没した。享年72。

  1. ^ 劉寿林ほか編『民国職官年表』による。徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』は、1941年春に死去としている。

参考文献

 李溶 (新疆省长) 中華民国(国民政府)国民政府
先代:
劉文竜
新疆省政府主席
次代:
盛世才
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