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Japan
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Yasuharu Fujiō
Japanese baseball player

Yasuharu Fujiō

The basics

Quick Facts

Intro
Japanese baseball player
From
Work field
Gender
Male
Place of birth
Ichinomiya, Japan
Age
59 years
Stats
Height:
184 cm
Weight:
94 kg
Sports Teams
Chunichi Dragons
The details (from wikipedia)

Biography

藤王 康晴(ふじおう やすはる、1965年4月13日 - )は、愛知県一宮市出身の元プロ野球選手(内野手)。

来歴・人物

一宮市立大和中学校卒業後、享栄高校で1年秋から一塁手、4番打者として活躍。1982年夏の甲子園県予選決勝に進出するが、中京高のエース野中徹博に抑えられ敗退。翌1983年の春の選抜に出場、平田幸夫(中大-河合楽器)の好投もあり準々決勝に進むが、東海大一高に延長10回サヨナラ負け。しかし、大会記録となる11打席連続出塁をマークし、3試合で打率.900・出塁率.923を記録した。同年夏は県予選決勝で、またも中京高の野中の前に敗退、夏の甲子園には届かなかった。高校通算49本塁打を記録する。

1983年のドラフト会議で地元の中日ドラゴンズで1位指名され入団。左打ちの長距離ヒッターとして期待され、入団時には高木守道が引退後、選手としては着ける者がいなかった背番号1を与えられた。

1984年には高卒ルーキーながら夏に一軍昇格を果たし、代打起用中心で優勝を争う試合で活躍した。1986年には三塁手として18試合に先発出場。しかし、打率低迷もあってレギュラー争いに加われず、1988年には同期入団の山本昌らと共に業務提携していたロサンゼルス・ドジャース傘下のマイナーに留学。1989年は日本に復帰し、5月18日の対巨人戦で9回表に代打で登場、足下にボールが投げられてストッキングを脱いで死球をアピールする姿が全国放送で中継された(スローVTRでは当たっていなかった)。1990年に小松崎善久と共に、田中幸雄・早川和夫と交換トレードで日本ハムファイターズに移籍。

日本ハムに移籍してからは一本足打法に取り組み、1990年のオープン戦では打率.347の結果を残した。その年のシーズンは75試合に出場、うち31試合には主に一塁手、指名打者として先発した。しかし、翌年からは出場機会が減り、1992年に自由契約となり現役を引退した。

その後佐川急便中京支社(現:中京支店)に就職し、セールスドライバーとして勤務しながらプレーした。

佐川急便を退社後、実家の繊維業を継ぐ。2006年には中日ドラゴンズ応援歌『吹け吹け、伊吹おろし』の歌唱を担当して、当時の中日新聞に取り上げられた。

2007年より第2の古巣である佐川急便中京支社(現:中京支店)に再入社し、セールスドライバーとして現場復帰を果たした。同時に軟式野球部にも復帰している。

2012年に再退社し、矢場とんに転職、2015年春に設立された硬式野球部「矢場とんブースターズ」の監督に就任、内野手も兼任した。2016年からは片貝義明が部長兼監督に就任しており、以降、藤王の名前はブースターズ公式サイトには掲載されていない。

詳細情報

年度別打撃成績

年度球団試合打席打数得点安打二塁打三塁打本塁打塁打打点盗塁盗塁死犠打犠飛四球敬遠死球三振併殺打打率出塁率長打率OPS
1984中日343936513302228000030064.361.410.6111.021
19853966602131011750100501172.217.288.283.571
19862983805143012030100310141.175.205.250.455
198718363428101123000021041.235.278.353.631
19891623222310040000000170.136.174.182.356
1990日本ハム751601421035714561410001800342.246.331.394.726
1991224441462011140000300121.146.205.268.473
19924331000000000000020.000.000.000.000
通算:8年23745441831921811014237120034229611.220.282.340.622

記録

  • 初出場:1984年7月14日、対横浜大洋ホエールズ15回戦(ナゴヤ球場)、7回裏に郭源治の代打として出場
  • 初打席・初安打・初打点:同上、7回裏に古賀正明から一塁強襲適時二塁打
  • 初本塁打:1984年9月23日、対広島東洋カープ23回戦(ナゴヤ球場)、8回裏に都裕次郎の代打として出場、北別府学から左越同点ソロ
  • 初先発出場:1984年10月3日、対阪神タイガース25回戦(ナゴヤ球場)、5番・三塁手として先発出場

背番号

  • 1 (1984年 - 1987年)
  • 0 (1988年 - 1989年)
  • 35 (1990年 - 1992年)
  • 88 (2015年 - )

脚注

  1. ^ 「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年
  2. ^ 高木自身が1980年限りで現役を引退後、1981年・1982年はコーチとして1を使用、1983年は空番となっていた。
  3. ^ 当時の中京支社管内での営業成績は非常に優秀で、佐川急便の社内報「飛脚」でも話題となるなど、社内では伝説化していたほどであった。
  4. ^ 中日ドラゴンズ新応援歌、全国へ発信 尾北ホームニュース 
  5. ^ 吹け吹け.伊吹おろし:カラオケ楽曲検索 JOYSOUND.com
  6. ^ 中日新聞夕刊「伊吹おろし」で竜Vだ「六甲」より強い応援歌、ネットで配信 2006年9月22日紙面
  7. ^ 中日83年ドラ1藤王さん豚まん振る舞う 日刊スポーツ 2012年11月14日
  8. ^ 社会人野球:名古屋の矢場とんがクラブチーム(毎日新聞、2014年11月4日)
  9. ^ 元中日の片貝さん率いる矢場とんブースターズが全日本クラブ野球選手権に初出場 サンケイスポーツ 2016年6月26日
  10. ^ スタッフ・選手紹介 - 矢場とんブースターズ公式サイト

関連項目

  • 愛知県出身の人物一覧
  • 中日ドラゴンズの選手一覧
  • 北海道日本ハムファイターズの選手一覧
  • 日本人のマイナーリーグ選手一覧
The contents of this page are sourced from Wikipedia article on 21 Jun 2020. The contents are available under the CC BY-SA 4.0 license.
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