Tadamaro Miyagawa
Quick Facts
Biography
水谷川 忠麿(みやがわ ただまろ、1902年8月27日 - 1961年5月20日)は、日本の男爵、貴族院議員。旧姓、近衛。後陽成天皇の男系十二世子孫である。
経歴
公爵近衛篤麿の四男として生まれた。兄に内閣総理大臣の近衛文麿、指揮者の近衛秀麿、ホルン奏者の近衛直麿がいる。
男爵水谷川忠起の養子となり家督を相続する。学習院中等科時代から有島生馬について洋画を習い、画家を志す。学習院高等科在学中、1921年に養母堯子を亡くした。1923年、京都帝国大学哲学科に入学した直後に養父忠起を亡くし、男爵位を相続。京大在学中は京都帝大オーケストラに参加してオーボエを吹き、京都音楽協会の設立に参加。家伝の華道「御門流」の再興を図り、二科展に入選する。
のち、内務大臣秘書官や大蔵大臣秘書官、貴族院議員を歴任し、原田熊雄の後釜として西園寺公望の秘書になったこともあった。戦後は春日大社・談山神社宮司、華道「御門流」家元を歴任した。茶の湯を嗜み、みずから茶盌や茶杓を製作した。
はじめ、近衛秀麿の次男の近衛秀健を養子に迎えたが1939年2月25日に秀健は水谷川家の籍を離れて男爵常磐井堯猷(近衛忠房の三男)の家に預けられ、最終的に近衛家へ戻り、指揮者となる。秀健の長男の近衛一はバスーン奏者、長女の文子はNHK勤務、次男の近衛大は弁護士となった。
秀健を離縁した後、1939年10月19日、秀麿の三男の近衛俊健を忠俊と改名して養子に迎えた(作曲家の水谷川忠俊)。忠俊の長女の水谷川陽子はヴァイオリニスト、次女の水谷川優子はチェリスト。
このほか、長兄文麿と新橋の芸者山本ヌイとの娘である斐子(あやこ、1931年 - )を養子に迎えていた時期もある(のち山本家に復籍)。
系譜
水谷川家
水谷川家は、近衛忠熙の子である水谷川忠起を始祖とし、奈良華族として列せられた。
近衞家
近衞家は、藤原忠通の子である近衞基実を始祖とし、五摂家の一つであった。
皇室との関係
後陽成天皇 | 後水尾天皇 | 明正天皇 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
後光明天皇 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
後西天皇 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
霊元天皇 | 東山天皇 | 中御門天皇 | 桜町天皇 | 桃園天皇 | 後桃園天皇 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
直仁親王 | 典仁親王 | 光格天皇 | 仁孝天皇 | 孝明天皇 | 明治天皇 | 大正天皇 | 昭和天皇 | 明仁上皇 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
近衞信尋 | 近衞尚嗣 | 近衞基熈 | 近衞家熈 | 近衞家久 | 近衞内前 | 近衞経熈 | 近衞基前 | 近衞忠煕 | 近衞忠房 | 近衞篤麿 | 近衞文麿 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
水谷川忠麿 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
- 係累縁者が多数に上るため、後陽成天皇以降の歴代天皇および関連する男系男子の人物を記載した。そのため、母方の系図は省略している。
- 遠祖の近衞信尋は、後陽成天皇の第四皇子として生まれ、近衞信尹の養子となり、近衞家を継承した。