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Noboru Kitahara
Japanese baseball player

Noboru Kitahara

Noboru Kitahara
The basics

Quick Facts

Intro Japanese baseball player
Is Athlete Baseball player
From Japan
Field Sports
Gender male
Birth 1917, Nagano Prefecture, Japan
Age 105 years
Sports Teams
Fukuoka SoftBank Hawks
The details (from wikipedia)

Biography

北原 昇(きたはら のぼる、1917年 - 没年不明)は、長野県出身のプロ野球選手。ポジションは二塁手、遊撃手。

来歴・人物

松本商業(現・松商学園高等学校)在学中は、甲子園に2回出場(春1回〔1933年〕、夏1回〔1935年〕)。1933年春の大会では、遊撃手として出場し、優秀選手賞を獲得。立教大学進学後も強打者として鳴らし、山本一人(後に南海でチームメイトになる)のライバルとして有名だった。立大卒業後は、ノンプロの台湾実業団を経て、1941年に南海軍に入団。

南海入団後も打棒は衰えず、長打力のある打者として活躍。入団年の1941年こそ国久松一や猪子利男の控えに甘んじたが、シーズン終盤の10月から14試合に出場し、打率.333をマーク。戦争による用具の悪化により、この年のリーグ全体の打率が.201、特に南海は貧打線として知られチーム打率が.195しかなかったことを考えると驚異的な成績だった事が分かる。翌1942年に国久が左翼手、猪子が遊撃手に回った事により、二塁手のレギュラーを獲得。4番を打っていた岩本義行の前を打つ3番打者として、勝負強い打撃でチームに貢献した。特に選球眼に優れており、四球が三振より圧倒的に多かった。また、「苅田久徳以来の名二塁手」として評価された守備の名手でもあった。

しかし、実は南海入団前に結核を患っていた。その為、マスクを付けて球場入りする事もあったという(ちなみに、チームメイトのエース・神田武夫にも同様のエピソードがある)。1942年8月5日の朝日戦を最後にプロ野球出場は途絶え、その後応召。戦地で持病の結核を悪化させ、戦病死した(正確な没年月日、死没場所は不明)。20代中盤の短い生涯だった。

東京ドーム敷地内にある鎮魂の碑に、彼の名前が刻まれている。

詳細情報

年度別打撃成績

年度 球団 試合 打席 打数 得点 安打 二塁打 三塁打 本塁打 塁打 打点 盗塁 盗塁死 犠打 犠飛 四球 敬遠 死球 三振 併殺打 打率 出塁率 長打率 OPS
1941 南海 14 59 51 6 17 3 0 1 23 7 0 -- 2 -- 6 -- 0 1 -- .333 .404 .451 .855
1942 65 281 241 24 60 6 1 1 71 24 14 7 6 -- 30 -- 4 4 -- .249 .342 .295 .637
通算:2年 79 340 292 30 77 9 1 2 94 31 14 7 8 -- 36 -- 4 5 -- .264 .352 .322 .674

背番号

  • 16 (1941年 - 1942年)

脚注

関連項目

  • 長野県出身の人物一覧
  • 福岡ソフトバンクホークスの選手一覧
The contents of this page are sourced from Wikipedia article on 08 Jul 2020. The contents are available under the CC BY-SA 4.0 license.
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