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Japan
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Yosuke Niwa
Association football player

Yosuke Niwa

The basics

Quick Facts

Intro
Association football player
Places
Work field
Gender
Male
Place of birth
Hiroshima, Japan
Age
84 years
The details (from wikipedia)

Biography

丹羽 洋介(にわ ようすけ、1940年10月10日 - )は、中国上海市生まれ、広島県広島市出身の元サッカー日本代表選手・指導者。

来歴

3人兄弟の末っ子。父親は上水道技師で、上海で、のち広島で水道事業に関わっている。そのため上海で生まれ、1944年4歳の時から広島で生活し、太平洋戦争末期に愛知県江南市に疎開していた。そのため広島市への原子爆弾投下からは逃れている。ただ父親は当時広島で働いており、被爆者となってしまった。

広島に戻り広島大学附属小学校へ進学するとサッカーを始める。小学校の1学年上が鬼武健二、同級が桑田隆幸、1学年下が野村尊敬、2学年下が小城得達になる。その後広島大学附属中学校・高等学校と上がる。ただ中学では軟式テニス部に入り、高校からまたサッカー部へ入るようになった。同高校サッカー班では前述の面々の他、大島治男、桑原楽之、溝手顕正(元内閣府特命担当大臣)、川瀬隆弘(元年金積立金管理運用独立行政法人理事長)らともプレーした。同級生でサッカー班のマネージャーが山口邦明(元東京弁護士会副会長)。高校2年時に脾臓破裂の大怪我により1年間を棒に振る。高校3年生のときに第37回全国高等学校蹴球選手権大会(高校選手権)に出場して準優勝、大島・桑田とともに大会優秀選手に選ばれている。

鬼武や伊野本孝一(現西條鶴社長)ら高校の先輩に誘われる形で早稲田大学政経学部に進学、早稲田大学ア式蹴球部に入部する。監督の工藤孝一・コーチの堀江忠男に鍛えられ、川淵三郎・桑田・松本育夫・森孝慈・釜本邦茂・大野毅らと共に活躍し、1960年関東大学サッカーリーグ戦優勝を果たす。1960年に全日本(日本代表)に選抜され、同年9月親善試合対FCパフタコール・タシュケント戦で代表デビュー(Cキャップ)を果たした。

1963年、今西和男・岡光龍三らと地元東洋工業(現マツダ)へ入社、東洋工業蹴球部(のちのマツダSC、現サンフレッチェ広島F.C)へ入団した。東洋工業では桑田、小城、桑原、松本、石井義信、二村昭雄らと共に、日本リーグ(JSL)4連覇、天皇杯優勝3回に貢献。その中で丹羽は小沢通宏、今西、桑原弘之、大野毅、川野淳次、国枝強らとディフェンダー(フルバック)として活躍、1969年には全日本(日本代表)に再選抜された。1970年の天皇杯ではキャプテンを務め優勝に貢献し、翌1971年現役引退。

引退後は社員として東洋工業/マツダに務めた。入社当初は本社部品部、そして出向扱いで名古屋支社・静岡マツダ・1979年マツダオート石川代表取締役専務。石川県立金沢泉丘高等学校サッカー部コーチも務めた。1987年マツダオート長野代表取締役社長として出向、長野県自動車店協会常任理事も務めた。その後マツダ本社の広島復帰の意向があったが退社し、トヨタUグループのネッツトヨタ長野の代表取締役専務を務め、古稀を迎え2011年5月19日同社を退社する。

またマツダオート長野社長時代、「今まで培ってきた技術と知りうる情熱を少年たちに伝えたい」という心から、社屋近くにあった裾花小学校に少年サッカークラブの設立を呼びかけ、1988年に裾花フットボールクラブを設立する。1990年には長野市サッカー協会副会長、1994年には長野市サッカー協会会長を務める。2004年からは長野県サッカー協会会長となり、2010年北信越サッカー協会会長に選出され、長野県をはじめ北信越サッカーの育成に尽力する。長野県サッカー協会会長を退任後2012年7月より、AC長野パルセイロスーパーバイザーに就任。2013年から2015年までAC長野パルセイロの運営会社である長野パルセイロ・アスレチッククラブの社長を務めた。

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグリーグ戦リーグ杯オープン杯期間通算
出場得点出場得点出場得点出場得点
日本リーグ戦-天皇杯期間通算
1965東洋JSL13-4
196614-3
196714-3
196814-3
196914-1
通算日本JSL691-
総通算691-

脚注

  1. ^ 02 広島で育つ ~上海で生まれて帰国 家族で楽しく暮らす~”.週間長野. 2016年1月12日閲覧。
  2. ^ 04 小中学校時代 ~サッカー人生を左右 先輩らとの出会い~”.週間長野. 2016年1月12日閲覧。
  3. ^ 05 高校サッカー ~全国優勝目指す決意 裸電球で個人練習”.週間長野. 2016年1月12日閲覧。
  4. ^ 06 脾臓破裂 ~医師の許可なく再開 猛反対の両親を説得~”.週間長野. 2016年1月12日閲覧。
  5. ^ 07 全国大会準優勝 ~チームは1・2年主体 破竹の勢いで決勝へ~”.週間長野. 2016年1月12日閲覧。
  6. ^ 08 早稲田大学へ ~伝統の早慶戦に憧れ 精鋭が集まった集団~”.週間長野. 2016年1月12日閲覧。
  7. ^ 14 被爆とスポーツ界 ~「負けてたまるか」魂 象徴は広島カープ~”.週間長野. 2016年1月12日閲覧。
  8. ^ 21 仕事に専念 ~工員引き連れて出向 苦闘した貴重な体験~”.週間長野. 2016年1月12日閲覧。
  9. ^ 22 金沢時代 ~必ず芽が出ると信じ 積み上げた営業努力~”.週間長野. 2016年1月12日閲覧。
  10. ^ 23 長野に出向 ~ディーラーの社長に会社・社員に恵まれる~”.週間長野. 2016年1月12日閲覧。
  11. ^ クラブ紹介 裾花フットボールクラブHP クラブ紹介
  12. ^ スーパーバイザー就任のお知らせ AC長野パルセイロ(2012年7月11日)

参考資料

関連項目

  • 広島県出身の人物一覧
  • 広島大学附属中学校・高等学校の人物一覧
  • 早稲田大学の人物一覧
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