Yoko Kishi
Quick Facts
Biography
安倍 洋子(あべ ようこ、1928年6月11日 - )は、岸信介の長女、安倍晋太郎の妻、安倍寛信・安倍晋三・岸信夫らの母。書家としても知られる。
3代にわたる政治家一家である岸/安倍家の「ゴッドマザー」とも、また、長く清和政策研究会所属議員夫人たちのリーダーを務め、政界に信奉者が多いことから「政界のゴッドマザー」とも称される。
経歴
岸信介・良子夫妻の長女として、東京府豊多摩郡中野町千光前町(後の東京都中野区中野2丁目)に生まれた。父・信介の満州国政府への赴任中(1936年 - 1939年)は、中野の家で、母方の祖母に育てられた。
1941年に一家は新宿柏木に転居したが、1945年に洋子が白百合高等女学校(現・白百合学園中学校・高等学校)を卒業した後、岸家の実家がある山口県田布施町へ疎開し、洋子も山口銀行の田布施支店に勤務した。
1949年、上京し、叔父佐藤栄作の吉祥寺の旧宅に入る。1950年6月、後に衆議院議員、外務大臣となる、当時は毎日新聞の政治部記者だった安倍晋太郎と見合いをし、1951年5月に結婚した。その後、晋太郎との間に息子3人をもうけ、長男・寛信は会社員、二男の晋三は衆議院議員、総理大臣となり、実家の岸家を継いだ三男の岸信夫も衆議院議員となった。
1953年、第26回衆議院議員総選挙に山口2区から岸信介が立候補した際に、初めて選挙応援の挨拶に回った。また、1955年の保守合同の頃には、渋谷南平台の岸家に、安倍一家も同居していた。その後、岸が外部大臣となった2か月間は白金の公邸に一緒に移り住んだが、総理大臣となって以降に岸は総理公邸には住まず南平台に戻り、安倍一家もこれに従った。
岸の政界引退後、洋子は夫の安倍晋太郎の選挙区(山口1区)における活動の指揮をとり、その後は息子たちの選挙に関わり続けたが、「選挙は何回やっても大変です」と述べている。
現在は渋谷区富ヶ谷に所有するマンションに居住する(ちなみに晋三夫妻も同じマンションの別の部屋に住んでいる)。
この間、洋子自身も国際婦人福祉協会募金委員、政治家夫人らの書道グループ「雍容苑」会長、梅若六郎後援会長、赤間神宮崇敬会会長など、多数の団体の役職を務めた。
著書
- わたしの安倍晋太郎:岸信介の娘として(ネスコ、1992年)