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Yasuo Fukuda
The basics
Quick Facts
Places
Work field
Gender
Male
Place of birth
Fukugawa, Tsuno district, Yamaguchi Prefecture, Japan
Age
70 years
The details (from wikipedia)
Biography
福田 悌夫(ふくだ やすお、1895年(明治28年)12月4日 - 1966年(昭和41年)8月28日)は、大正から昭和期の地主、農業経営者、著述家、教育者、実業家、政治家。衆議院議員、山口県都濃郡福川町長。
経歴
山口県都濃郡福川村(福川町(第1次)、徳山市、福川町(第2次)、南陽町、新南陽市を経て現周南市)で福田秀夫の五男として生まれ、素封家福田民平の養子となる。1920年(大正9年)東京帝国大学法学部政治学科を卒業した。
農業を営む。著述業にも従事し、雑誌『新思潮』を経営。その後、徳山実業実践学校講師、徳山商業学校教諭を務めた。政治家道源権治の後継者と目され、都濃郡農会長、同教育会長の後任に推薦されて就任。その他、都濃郡青年団長、同女子青年団長、同連合婦人会長、福川町教育会長、同農会長、山口県農会議員、塩業組合中央会副会長、柏工業社長なども務めた。
1937年(昭和12年)4月、第20回衆議院議員総選挙(山口県第2区、立憲民政党公認)では道源権治が顧問を務めて当選し、翼賛議員同盟に所属して衆議院議員に1期在任した。この間、民政党院内幹事なども務めた。また、1937年5月から福川町長、同消防組頭にも在任した。
戦後、公職追放となった。1951年、追放解除。
国政選挙歴
- 第19回衆議院議員総選挙(山口県第2区、1936年2月、中立)次点落選
- 第20回衆議院議員総選挙(山口県第2区、1937年4月、立憲民政党公認)当選
- 第21回衆議院議員総選挙(山口県第2区、1942年4月、翼賛政治体制協議会推薦)次点落選
著作
- 『公民講義』白銀日新堂本店、1937年。
脚注
注釈
- ^ 『大衆人事録 第13版 中国・四国・九州篇』山口26頁では11月4日。
出典
- ^ 衆議院『第七十一回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1937年、26頁。
- ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』549頁。
- ^ 『人事興信録 第14版 下』フ29頁。
- ^ 『大衆人事録 第13版 中国・四国・九州篇』山口26頁。
- ^ 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』388頁。
- ^ 『徳山地方の人物を語る』179-182頁。
- ^ 『戦時下の政局を繞る人々』40頁。
- ^ 総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、65頁。NDLJP:1276156。
- ^ 『朝日新聞』1951年6月19日朝刊1面
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第19回』471頁。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第20回』467頁。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第21回』461頁。
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