Yasuda Isao
Quick Facts
Biography
安田 勲(やすだ いさお、1853年7月23日(嘉永6年6月18日)- 1916年(大正5年)6月9日)は、明治から大正初期の畜産家・政治家。衆議院議員、千葉県長狭郡大山村長。
経歴
安房国長狭郡平塚村(千葉県長狭郡大山村平塚、安房郡大山村、長狭町を経て現鴨川市平塚)で安田栄存の長男として生まれる。3歳で母を失い祖母に養育された。嶺田楓江から学び、その後上京し岡鹿門に師事して漢学を修めた。洋学を志し、1871年(明治4年)慶應義塾に入り政治学、経済学などを学んだ。
1876年(明治9年)帰郷し、第二大区区会議員に就任し、1877年(明治10年)第二大区の代議員(千葉県代議人)に当選し千葉県会に出席した。1879年(明治12年)3月、府県会規則による初の千葉県会議員選挙で当選したが辞退した。
その後、県立千葉中学校(現千葉県立千葉中学校・高等学校)教員、千葉県師範学校教員、千葉県御用掛、同属を歴任した。
退官して1882年(明治15年)に帰郷し、同年6月の県会議員選挙で当選し、1890年(明治23年)7月まで在任し、この間、常置委員、県徴兵参事員などを務めた。また池田栄亮らと『房総新聞』を発行。条約改正については賛成に積極的立場で主張を行った。1889年(明治22年)4月、町村制施行により大山村が発足し、同年10月、2代村長に就任し1890年3月まで在任した。
また畜産の振興に尽力し、畜産会社を設立して牛馬の改良に取り組み、東京に愛生舎を設立して畜産品の販路を拡大した。
1890年(明治23年)7月、第1回衆議院議員総選挙(千葉県第8区)で初当選し、以後、第10回総選挙まで5回再選され、衆議院議員に通算6期在任した。
1909年(明治42年)日本製糖汚職事件で拘禁され、同年7月3日に、東京地方裁判所第二刑事部において重禁固4ヶ月の有罪の判決が言い渡され、衆議院議員を辞職。その後、判決を不服として控訴を行ったが、同年8月10日に、東京控訴院第一部で重禁固4か月、追徴金600円の判決が言い渡された。
1916年6月9日、早稲田の大隈重信邸から退出した際に倒れ、同日午後に死亡した。
国政選挙歴
- 第1回衆議院議員総選挙(千葉県第8区、1890年7月、議員集会所)当選
- 第2回衆議院議員総選挙(千葉県第8区、1892年2月、立憲改進党)次点落選
- 第3回衆議院議員総選挙(千葉県第8区、1894年3月、立憲改進党)当選
- 第6回衆議院議員総選挙(千葉県第8区、1898年8月、憲政本党)次点落選
- 第7回衆議院議員総選挙(千葉県全県、1902年8月、憲政本党)当選
- 第8回衆議院議員総選挙(千葉県全県、1903年3月、憲政本党)当選
- 第9回衆議院議員総選挙(千葉県全県、1904年3月、憲政本党)次点落選
- 第9回衆議院議員総選挙補欠選挙(千葉県全県、1905年12月、憲政本党)当選。伊藤徳太郎の死去により実施。
- 第10回衆議院議員総選挙(千葉県全県、1908年5月、憲政本党)当選
- 第12回衆議院議員総選挙(千葉県全県、1915年3月、無所属)落選
親族
- 二男 安田正男(弁護士、立憲民政党所属の衆議院議員)
脚注
注釈
- ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』668頁、『千葉大百科事典』952頁では大正6年。
出典
- ^ 『千葉県議会史:議員名鑑』809頁。
- ^ 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』467頁。
- ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』668頁。
- ^ 『千葉大百科事典』952頁。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』20頁。
- ^ 「日糖事件 - 汚職事件と検察権の拡大」504-511頁。
- ^ 『官報』第7809号、明治42年7月7日。
- ^ 「日糖事件 - 汚職事件と検察権の拡大」512頁。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』81頁。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』11頁。
- ^ 『第一回乃至第十九回総選挙衆議院議員当選回数調』241頁。
- ^ 『官報』第6755号、明治39年1月9日。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』51頁。
- ^ 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年、ヤ之部27頁。