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China
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Wang Jiazhen
Chinese politician

Wang Jiazhen

The basics

Quick Facts

Intro
Chinese politician
Places
Work field
Gender
Male
Birth
Place of birth
Harbin, People's Republic of China
Age
86 years
Education
Peking University
Keio University
The details (from wikipedia)

Biography

本来の表記は「王家楨」です。この記事に付けられた題名は技術的な制限または記事名の制約により不正確なものとなっています。

王 家楨(おう かてい)は中華民国・中華人民共和国の政治家・外交官。初めは北京政府の直隷派、奉天派の政治家で、国民政府では張学良の配下として外交畑で活動している。字は樹人。民国時代の政治家・莫徳恵の甥。

事績

張父子の配下として

国立北京大学法科を卒業後、日本に留学して慶應義塾大学理財科で学ぶ。卒業後に帰国し、北京政府交通部法律編輯局書記官となる。孫文(孫中山)が護法運動を開始すると、南下してこれに参加し、広州大元帥府秘書となる。しかし、後に北京政府に戻って直隷派の呉佩孚の秘書となり、日本との連絡役をつとめた。呉が失脚した後は、莫徳恵の甥という関係を利用して奉天派の張作霖に付き、大元帥秘書、外交部秘書をつとめた。

張作霖死後、張学良が後継すると、王家楨は引き続きその配下となる。張学良の易幟後に、東北辺防軍司令長官公署外交機要処主任に任ぜられた。1930年(民国19年)4月、国民政府で王は外交部常務次長に抜擢され、さらに外交部特派威海衛接収専員、日本租界回収委員会委員長もつとめている。翌年、満州事変(九・一八事変)で張学良が失脚すると、王も同様に要職から離れた。

国民政府、中華人民共和国での活動

しかし、まもなく王家楨は国民政府に復帰し、外交部顧問、国際連盟代表、中央政治委員会外交委員会委員を歴任した。1934年(民国23年)10月、軍事委員会委員長東北行営経済委員会委員に任ぜられる。翌年5月、監察院監察委員になり、1937年(民国26年)5月には国民政府主席東北行轅政務委員会委員に任ぜられたが、同月にただちに罷免された。翌1938年(民国27年)6月、第1期国民参政会参政員となる(第2期でも就任)。以後、蒋介石政権において対日外交の「ブレーン・トラスト」と目された。

1945年(民国34年)、王家楨は中国代表団顧問として、サンフランシスコで開催された国際連合成立式典に出席する。日中戦争(抗日戦争)終結後、東北生産管理局局長、東北政務委員会常務委員を歴任した。蒋介石からの台湾行きの命令を拒否し、中華人民共和国建国後も大陸に留まる。以後、中国人民外交学会に所属したほか、中国国民党革命委員会(民革)中央委員となり、第2期から第6期で中国人民政治協商会議全国委員会委員をつとめた。1984年12月28日、北京市にて死去。享年86。

田中上奏文入手者との説

王家楨は、いわゆる「田中上奏文」を入手した人物として言及されることがある。ただし、中国側へどのように上奏文が伝播したかについては諸説存在する(詳細は「田中上奏文#田中上奏文の来歴」を参照)。

  1. ^ 徐主編(2007)、138頁と劉主編(2005)、209頁による。『双城県志』は1897年とする。
  2. ^ 現在は黒竜江省の所管。
  3. ^ 徐主編(2007)、138頁。
  4. ^ 東亜問題調査会編(1941)、10頁。
  5. ^ 劉主編(2005)、209頁。
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